私たちは、祈りと心への投資に時間を費やし、キリストに似た者となり、生活の中でキリストの性質を表している人たちとつながってきました。また自分の生活において、どのように神様を表すことができるかを模索し、私たちの信仰を励まし、強めてくれる適切な人を見つけるために努力してきたでしょう。そして、神の御国を求め、チームメイトや友人、家族にイエスの人生を模範とする弟子になるよう、神様は私たちの心を形造られているのです。
感謝なことに私たちは仲間を見つけることができました。しかし、私たちは仲間と共に全力で取り組むことを望んでいるでしょうか?神様は私たちに支え合うことを求めていますが、それを喜んでいますか?キリストに従って歩むことを助け、道を外れたときには励まし、忠告し、磨き合うことに時間を惜しみませんか?アドバイスを与え合い、キリストを常に追い求めて成長するために支え合う準備ができていますか?
私たちの人生においてチームワークが必要不可欠なものです。同じ目標に向かって団結していく中で力が生み出されます。最高のチームには、目的のためだけでなく、一緒に働く仲間のために献身的に働く姿勢も見られるでしょう。
同様に神様が私たちに与えて下さった霊的なチームにも団結が必要であり、確固たる信念、責任感、配慮が求められます。私たちは、イエスのリーダーシップのもと、一致し、フィールド、更衣室、学校、そして地域に向かって出ていきます。ですから、初代教会のリーダーたちが、福音をどの様に広め、今日の私たちに届けられたのか見ていきましょう。そこには信仰と犠牲による土台がありました。
価値あるものに目を向ける
神様の御言葉にはすべてに勝る価値があります。初代教会の弟子やメンバーは、イエスによって大きく変えられ、聖霊によって力を与えられて、福音を広めることに専念しました。そして、どんなに反発を受けても信仰を貫き、イエスへの信仰が揺らぐことはありませんでした。
弟子たちは、イエスや仲間のゆえに、地域から追放されることや権力者に立ち向かうこと、家庭の快適さを捨てることもいといませんでした。私たちは、この初期のリーダーたちを参考にして、霊的な仲間のグループに集まり、団結することの意味を考えてみてはいかがでしょうか。
使命に生きる
弟子たちと初代教会は、より大きな使命に焦点を当て、キリストにあって共に生き、福音を宣べ伝えていきました。イエスは信仰による新たな生活の基礎を築き、弟子たちはイエスのメッセージをユダヤ人や異邦人に伝える使命を負っていました。イエスのメッセージが聞き手の心に響くと、信者たちは団結し、喜びをもって集まり、食事を共にし、資源を集めて地域で困っている人たちに奉仕しました。(マタイの福音書28:18-20)
壁を取り除く
イエスの人生、死、そして復活は、新しい生き方を指し示しています。それはこの世界の生き方と異なるものでしたが、離れていた人々を探し出す歩みです。イエスはすべての人を救うために来られ、身分に関係なく、神の家族に人々を招かれました。それにより垣根がなくなり、キリストの旗の下に歓迎されるようになりました。イエスは、部外者や従属者と思われていた人々にも交わりを与え、その価値を示されたのです。ですから、私たちはイエスに従う者として、同じことをするように求められています。(ガラテヤ人への手紙3:28)
共に歩む
初代教会のメンバーは、互いに集い、愛し合い、深い真の交わりの中で歩んでいました。彼らはお互いの必要を共有しあい、集まり、支え合いました。イエスが彼らの中心となって束なり、イエスの愛が動機となって仕え、イエスのことを世界に伝えようとしたのです。ですから私たちもイエスのチームの一員として、兄弟姉妹と平和を求め、キリストの下で一つになって支え合って共に生きるのです。(使徒の働き4:32)
神様は、この世界にご自分の愛を示すために、団結を望んでおられます。私たちが団結し、仕え合うとき、私たちの決意は強まり、イエスの光の中で歩み、神様と共に生きる仲間と立つことができます。揺るぎない基礎の上に築かれた要塞は、逆境の風の中でも安定しています。仲間を集め、揺るぎない愛と励ましの中でお互いに寄り添って歩んでいくために、今が絶好の機会なのです。(詩篇133:1)
考えてみよう:あなたは、神様の御国のために、周りの人々へ自分自身を仕える準備ができていますか?
実践してみよう:神様に向けて決意を書いて署名し、自分のチームを支え、励ますために仕えましょう。