もし、地上で最も知恵深く富を持つ人とされるソロモン王が語る言葉通り(伝道1:14)、すべてがほとんど意味を持たないものだとするなら、なぜ私たちはコーチをするのでしょうか?
ただ勝つためだけの存在であるなら、私たちは実に空虚な存在でしょう。トロフィーも、お金も、名声も私たちが死ねば消え去ります。しかし、神が私たちにコーチングを命じられたのなら、それにはこの世を超えた使命があるはずでしょう。この使命とは、単なるコーチングではなく弟子作りです。
コーチングと弟子づくりは違います。
コーチとして、私たちはプレーを指示し、ハーフタイムに調整を行い、選手を観察し、試合前にミーティングを行い、ADやアシスタントコーチ、トレーナー、スタッフと協力し、日々の課題に取り組みます。どのコーチも勝利を目指しています。しかし、いくら多くの試合に勝利しても、私たちの最大の勝利は「すべての国の人々を弟子とすること」(マタイ28:16-20)であり、私たちの影響下にある人々を霊的に成長させることであることを忘れてはなりません。
スポーツは成果が求められるものですが、それは弟子作りの絶好の機会を生み出します。この機会こそ神が神の王国をもたらそうと望まれてなされるものです。神は優しい父であり、私たちの痛みや過ち、弱さをご存じのお方です。それにも関わらず、私たちが神の娘、息子であることを思い出させます(ガラテヤ4:4-7)。また、私たちを導き、共に働いてくれる忠実な友として存在します。(ヨハネ15:15)スポーツを楽しむその瞬間でさえ、神はご自身の秘密を私たちに明かしたいと願っています。(エレミヤ33:3)神は私たちが学ぶべきことをたくさん持っておられるのです。ですから私たちは注意を払い、その声に耳を傾ける必要があるのです。
詩編139:7-10
もし神が天にも地にもおられるなら、毎シーズン、毎試合、ピッチャーマウンドにも、チームバスにも、アイスバスにも、50ヤードラインにもおられるのではないでしょうか?
厳しいシーズンの中で、神に目を合わせることを誰が選手たちに教えられるでしょうか?誰が彼らにこの世が教えるものに勝る話を伝えられるでしょうか?彼らと共にいるコーチたちが、それを行う立場にあるのです。コーチは選手たちと同じ経験をしてきたからこそ、選手を弟子訓練へと導くことで、コーチ以上の使命を果たす者へと変わる大きな可能性を持っています。
コーチングの忙しさから一歩引いて、神にこう尋ねるのを恐れないでください。「どうすれば選手たちを弟子とすることができますか?」あなたはコーチとして選手たちに思っている以上のものを与えることができます。コーチングの要求に追われて、自分の使命を忘れないようにしてください。弟子作りにはリスクが伴うこともありますが、それだけの価値があるのです。
1ペテロ 3:14-16
コーチ: 次のチームミーティングや練習のサイドラインに、神が待っておられることを忘れないでください。神はあなたに会えるのを待ちきれず、あなたやチームにどのようにご自身を示したいかを教えようとしておられます。それによって、より深い関係とつながりを体験することができるのです。
みことば:ローマ15:13、1テサロニケ3:12
質問: これまでに出会った最高のコーチを思い浮かべてください。その人の何が特別だったのでしょうか?そのコーチのどのようなやり方が素晴らしいと思いますか?
チャレンジ:他のコーチに感謝を伝え、彼らがチームのために費やしている時間と努力を認めるようにしましょう。
ジェイク・ハノン(FCAバッファロー・ディレクター)執筆
https://www.fca.org/fca-in-action/2024/10/15/how-to-live-out-your-influence-as-a-coach