陸上部に入部したとき、私のアイデンティティはスポーツにありました。自分の価値や値打ちは、自分の成績がそのまま反映されるものと考えていました。もし、私が良い成績を収め、スタッツが上がれば、私の価値観や価値観もそうなりました。逆に、成績が悪かったり、調子が悪かったりすると、自分の気持ちもその成績に連動してしまいます。スポーツは私のアイデンティティだったのです。しかし、コーチの影響によって、主は私の人生を掴み、私のアイデンティティがどこにあるのかを明らかにされました。
あなたのアイデンティティは、あなたが何をしたかによって決まるのではなく、イエスが私たちのために何をしてくださったかによって決まります!私たちの価値はイエスの罪のない人生、十字架上の贖罪の死、そして復活に由来しており、イエスの完全な愛と究極の犠牲は、本質的な価値を提供します。私たちが恵みの贈り物を受け取るとき、私たちの人生は変わることができます。私たちのアイデンティティは、イエスがなさったことの中にあり、誰に従うかの中に見出されるのです。
ヨハネによる福音書15章の中で、イエスは弟子たちに、ご自分のうちに留まるようにと呼びかけています。悲嘆にくれる困難の最中から、信じられないような山頂の瞬間まで、あらゆる状況において主のうちにとどまりなさいという、主からの驚くべき招きです。この自由は、世の中の承認を求める鎖からの解放であり、人生のすべての領域で主をたたえることに専念する人生を送る力を与えてくれています。使徒パウロは、ガラテヤ人への手紙2章20節で、ガラテヤの教会にこの真理を思い起こさせています。
競技者として、私たちは福音の真理が私たちのアイデンティティを変えることを受け入れなければなりません。私たちのアイデンティティをキリストのみに置き、その自由がパフォーマンスのプレッシャーから解放してくれるようにしましょう。自分の名前のためではなく、イエスの名前のために、より高いパフォーマンスを発揮できるように努力しましょう。
考えてみよう:
1. キリストにある自分のアイデンティティを日々思い出すにはどうしたらいいでしょうか?
2. キリストにあるアイデンティティをチームに反映させる方法は何ですか?