どんな競技でも、ルールの中で相手に勝利することが目標となります。スポーツの楽しさは、自分の持てる力をすべて出し切り、勝利を手にしたときに見出すでしょう。その爽快感は、次の試合まで待てないほどです。競技中は、山あり谷ありで、それを「モメンタムスイング(勢いにより流れを変え勝利を引き寄せる)」と呼んでいます。この勢いがあるときは無敵に感じ、相手は弱く見えるでしょう。
クリスチャンとして私たちの過ちは、勝ったときに過大な評価を受け、負けたときに過大な責任を負わされることです。勝ったときも負けたときも、私たちが謙虚になろうとする想いを奪い、絶望に陥れることを目的とした敵がいます。この敵は、私たちが主により頼み、力を求めないようにし、自己憐憫と無価値感に浸ることを望んでいます。しかし、私たちが真の勝利の源であるイエスに焦点を当てるとき、私たちはどんな相手にも打ち勝つことができるのです。ヨハネによる福音書8章12節で、イエスはよく照らされた道と安全な着陸を約束しています。私たちは、キリストの犠牲的な愛と私たちの人生に対する救いの約束に基づき、これを完全に信頼することができます。私たちは、この安全な場所から私たちを引き離そうとする相手に対して、キリストとキリストのみによって勝利することができることを、競争しながら覚えておきましょう。私たちの勝利は、私たちの中に住んでおられ、誰よりも、何ものよりも偉大なお方からもたらされるのです。
私たちが競争においてこの勝利を収めるとき、主は私たちに能力を与えてくださいます。どんなこの世の約束や勝利よりも、キリストの中に大きな可能性があることを知りながら、今日も競技に励んでください。
1. あなたやあなたのチームが、勝利のために全力を尽くしたときのことを思い出してみましょう。
2. 神様は、勝利の時も敗北の時も神様を信頼することを、あなたにどのように教えておられますか?
あわせて読んでみましょう
第1ヨハネ5:5、ローマ8:35、37、第2コリント10:4、ヨハネ16:33
お祈り
「父よ、あなたが私に与えてくださる大きな可能性に感謝します。勝利の時には謙遜に、敗北の時には希望に満ちた態度でいられるように教えてください。聖霊が私の中に住んでいて、この世やあなたから私を遠ざけようとするものや人に対して打ち勝つことから助けてくださって感謝します。イエスの十字架のみ業と復活のおかげで、私は克服者であることを知ります。イエスの御名において。アーメン」