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短くお祈りします

2023年11月9日

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FCA in Action

2025年2月13日
はじめに イザヤ43:7 スポーツの世界では、名誉、賞賛、尊敬、報酬という形で栄光を受けることがあるでしょう。しかし、もしあなたがこれらの形で栄光を追い求めるようになるなら問題です。それは神のご計画とのバランスを崩すことになります。神は、あなたが神の働きによって受けたすべての栄光を神に帰すことを望んでおられるからです。 ワークアウト 名を上げる サタンがアダムとエバを誘惑し、神に背く罪を犯させるまで、エデンの園はすべてが完璧でした。サタンはプライドを利用してアダムとエバをだまし、自分たちには決して与えられるはずのないものを得る資格があると信じ込ませたのです。それ以来、この地球上のすべての人は、イエスしか置き換えることのできない罪の性質を持って生まれてきたのです。 それから2,000年も経たないうちに(大洪水から約100年後)、徐々に増え続けていた人々は、自分たちが創造主と同じくらい強大で素晴らしい存在であると思い込みました。創世記11章にあるバベルの塔の物語は、栄光を追い求めることがどれほど危険なことかを私たちに示しています。創世記11:4 しかし、神のご計画は違いました。創世記 11:7-8 塔は完成することなく、その町は後にバベル(混乱)と呼ばれるようになりました。この物語は、神のものである栄光を追い求めることの無意味さを私たちに思い起こさせます。 自分の栄光を追い求めること エデンの園のアダムとエバ、バビロンの人々と同じように、私たちも、人気、賞、記録、奨学金、あるいはNIL(知名度、イメージ、肖像)契約やプロ契約によって栄光を追い求めることがあるのに気づきます。 こうしたものを求めるのは、人が生まれつき持つ罪の性質が原因です。それが私たちをプライドや利己主義、アイデンティティや自尊心との葛藤、偶像崇拝へと駆り立てます。そして、神の栄光を自分のものにしようとする誘惑にかられるのです。 しかし、神はあなたを、ご自身の栄光の重さを背負える存在として造られたのではありません。 むしろ、あなたが神に栄光を帰し、イエスがあなたの人生のすべてにおいて完全に十分である、ということを知って平安を得るために造られたのです。 アスリートとして、どの様な時に自分の栄光を追い求めてしまうでしょうか? 自分の目標を達成したとき、どれほど満たされたと感じますか? その満足感はどれくらい続きますか? まとめ 真の平安と充足を得るための第一歩は、神が意図されていないものを追い求めていることを認めることです。プライドという罪から離れ、神に近づくためには、次のことを覚えておきましょう。 「自分の栄光を追い求めること」は無駄な努力です。それはあなたを満たさず、神に近づけることもありません。 ローマ1:20-22 神の栄光の本質をより深く理解するにつれて、私たちは、自分の栄光を追い求めることから、神の栄光を反映させることに移行し始めます。 行動の鍵 アスリートとして何を追い求めてきたかを振り返る時間を持ちましょう。それらを追い求める動機は何なのか、神はあなたの計画のどこに位置づけられるのか、真摯に自分に問いかけてみましょう。  チャレンジ:「私は自分の栄光を求めてしまうのは、自分の真のアイデンティティと目的を理解できていない。」 真理:神はご自身の栄光と大いなる目的のために、愛をもってあなたを創造された。(エペソ2:10)
2025年1月18日
イザヤ43:7 試合に勝ったとき、スポーツの目標を達成したとき、パフォーマンスで輝いたとき、記録を塗り替えたとき、それらの成功についてくる栄誉や報酬が欲しくなることは、競技者としてのあなたの自然な反応でしょう。別の言い方をすれば 「栄光 」であり、それは認知、名声、威信、誉れ、栄誉といった形でもたらされます。 努力の結果として良い成果を得たいと願うこと自体は、本質的に悪いことではありません。しかし、それが競技者としての第一目標であるならば、あなたが望むような充実感は決して得られないでしょう。自分の真のアイデンティティと目的を理解していなければ、常に自分の栄光を追い求める誘惑に駆られることになるからです。 ワークアウト 神の形に造られて 創世記の最初の2章には、天地創造の物語があります。しかし、神はご自分の作品の美しさを眺めるだけでは満足されませんでした。何かが欠けていました。第6日目、神はご自身のような存在との交わりを楽しむために、男と女を創造されました。そのデザインにおいて、何ひとつ惜しむことはありませんでした。創世記 1:26a 外見が文化の大部分を占めるこの時代において、(あなたを含む)すべての人が神のかたちに造られたという事実は驚くべきことです。それは神の人に対する大いなる愛のゆえです。  ・競技者として、また日常生活において、あなたはどのくらい外見のイメージについて考えますか?  ・自分が神のかたちに造られたことを理解することは、自分自身の見方や、他人が自分をどのように見ているかについて、どのような影響を与えるでしょうか? 神の栄光のために 神がアダムとエバを創造したとき、彼らには存在の目的も与えられました。個人的な関係を超えて、彼らは人口を増やし、その資源を管理するために造られました。最終的に、神は人々に神の栄光を示すために造られたのです。 アダムとエバのように、あなたもまた神のかたちに造られました。そして、同じように大いなる目的のために創造されたのです。イザヤ43:7が言うように、あなたは神の栄光のために造られたのです。 これは、神があなたを神の偉大さ、創造性、力、主権、そして完璧さの証として造られたということです。言い換えれば、神の栄光に満ちた本質と存在を反映するために造られたのです。それは、あなたが望みうるどのような目的よりもはるかに偉大なものなのです。 あなたの人生の目的は何だと思いますか? あなたが神の栄光のために造られたという真実を受け入れることは、競技に対する姿勢にどのような影響を与えるでしょうか? まとめ もしアイデンティティ(自分が誰であるか)や目的(なぜここにいるのか)について悩んでいるなら、以下を思い出してください:  ・神のかたちに造られた:あなたは神が意図した通りの存在です。神のその完璧な愛が、あなたのユニークなデザインのすべての部分の背後にあります。創世記1:27 ・神の栄光のために造られた:あなたは目的のために造られました。あなたが存在する最も重要な理由は、人生のあらゆる側面を通して他の人々に神を示すことです。黙示録4:11 神が与えたアイデンティティと目的をより深く理解するにつれて、自分の栄光を追い求める生き方から、神の栄光を反映する生き方へと変わるでしょう。 行動の鍵 ハドルや一人の静かな時間に、自分のアイデンティティや目的についての疑問が、競技者としての行動にどのように影響してきたかを振り返りましょう。神の大いなる愛とあなたに対する神の神聖な目的が明らかになるにつれて、聖霊からの導きを求めてください。
2024年12月16日
神はあなたにコーチとして特別な使命を与えています。
2024年11月9日
あなたの周りには、あなたを励まし、イエスの近くにいさせてくれる人たちがいます。 ターニャ・ハンセン(FCAミネソタ事務アシスタント) 競泳選手として、私はずっとこのスポーツを「一人で戦うもの」として捉えていました。というのも、大半の時間は頭を水中に沈め、世の中の音はすべて水面の上にあるように感じられたからです。しかし、平泳ぎで私を元気づけてくれるものは、泳いでいるときに聞こえてくるチームメイトの声援でした。耳が水面に出るたびに、観客の音に混じって彼らの声が届き、励まされました。 彼らが応援してくれると、私のタイムは格段に良くなったことに驚きはありません。応援はレースを楽しいものにし、私自身も成長させてくれるのです。 独立心や自己完結が称賛されがちな世の中では、私たちが本来一人で生きるようには造られていないことを忘れがちです。1テサロニケ5章でパウロが教えているのは、主や互いを頼りにすることで得られる驚くべき強さと自由です。社会の圧力とは逆に、すべての重荷を自分一人で背負う必要はありません。私たちは、共同体のため、責任のため、互いに助け合うために造られたのです。(1テサ5:11) この聖句には励ましの本質が凝縮されていますが、この励ましの意味をより深く掘り下げることが不可欠です。それは単に励まし合うということにとどまりません。私たちの救いと永遠の命の希望という深い真理に沿った生き方をするよう、互いに鼓舞し合うことなのです。 テサロニケ人への手紙を書いたパウロは、励ましの力をよく知っていました。この箇所で彼は信徒たちに、自らも励ます人になるように勧めています。パウロは、私たちが互いに励まし合い、高め合うことができるのは、私たちの救いの真理と、その救いがもたらす変容の効果に由来することを強調しています。私たちはただ孤立して救われたのではなく、同胞である信者たちが輝かしい変容を経験し、勝利に満ちた未来を受け入れるのを助けるように召されているのです。 パウロの励ましの模範は、その前の箇所(1テサ5:4-10)にあります。パウロはテサロニケの信徒たちに、イエスへの信仰によって光の子どもであることを思い出させています。これは、イエス・キリストを通して神から与えられた信仰と愛と救いの武具を用心深く活用することを意味しています。 光の子ども パウロはキリストにある私たちのアイデンティティを認識することの重要性を強調しています。クリスチャンは光の子どもであり、贖われたことを自覚し、神の真理と恵みを伝える者として生きるように召されています。 信仰、愛、救いの武具 パウロは、信仰、愛、救いの武具を身につけるようクリスチャンに勧めています。これらの霊的な武具が身を守り、力を与えてくれるので、私たちは人生の試練をたくましく乗り越えることができ、同じように仲間の信者を励ますことができるのです。 コミュニティの役割 パウロのメッセージは明確です。この旅路で私たちは一人ではありません。互いに励まし合い、責任を持つために互いを必要としています。鉄が鉄を研ぐように、私たちは互いに成長し、成熟し、信仰に堅く立つことができるのです。 パウロの例を見ると、励ましは「光の子ども」としてのアイデンティティを理解し、神の武具を身に付けることから生まれることがわかります(エペソ6:10-18参照)。コミュニティと相互支援を通して、私たちは互いに励まし合い、高めあうという召しを果たすことができ、人生の輝かしい変革を成し遂げ、勝利の未来へと向かうのです。 私たちは励ましの力を受け入れ、人生を一人で歩む必要はないこと、キリストと信徒の共同体の支えにおいて真の強さがあることを認識しましょう。彼らは人生をより楽しくし、私たちをより良くしてくれるのです。 実践のすすめ ローマ15:13; エペソ3:19 質問: あなたのコミュニティにはどのような人たちがいますか?彼らはどのようにあなたの信仰を成長させてくれますか? チャレンジ: もしまだ周りにそのような人たちがいなければ、神がふさわしい人を連れて来てくださるよう祈りましょう。そして、定期的に集まれるように計画を立てましょう。私たちは共にいるほうが良いのです。 行動への招き: アスリートとして、私たちは一度にたくさんのことに対処します。練習、学業、人間関係、先発出場へのプレッシャー......。適切なバランスとリズムをもたらす方法を見つけましょう。 記事:ターニャ・ハンセン(FCAミネソタ事務アシスタント) https://www.fca.org/fca-in-action/2024/09/03/you-don't-have-to-do-it-alone 翻訳:FCAジャパン 
2024年10月16日
寄稿:ブレーデン・ベック (翻訳:FCAジャパン) Ready: ヨハネ 8:32 Set: 眩いばかりの照明。大観衆の歓声。最高の舞台に立つ競技のスリル。選手なら誰もが描く夢の状況でしょう。 しかし、もしあなたがプレッシャーに耐えられないとしたら、その様な状況を望まないかもしれません。 確かに、大舞台で最高のパフォーマンスを発揮できるほど気持ちの良いことはありませんが、試合以外の時間はどうでしょうか?練習、家、学校での時間、友達との時間など、それらすべての場面でプレッシャーを感じているとしたら、私たちはよくない方向へ歩んでしまい、いつかくじけてしまうでしょう。それは時間の問題です。 イエスはスマートフォンを持ったこともなければ、プロスポーツの大会に出たこともありませんが、確実にプレッシャーに直面していました。そして、そのプレッシャーを乗り越えて歩む方法を私たちに示して下さいました。日々のプレッシャーを理解し、対処するためには、真理である神の言葉に立ち返る必要があります。そこで、イエスがどのように生きたかを知り、私たちもそれに従って生きることができるのです。 静まる時を見つける 日常の騒音から離れる時間を見つけましょう。イエスもそうしていました。(ルカ5:16) 静かな時間を見つけることは、あなたにとってどのような意味を持っていますか?もしかしたら、朝に15分早く起きて聖書を読み、祈り、自分だけの時間を持つことかもしれません。または、練習後に少し遅くまで残ってフィールドに座り、考えを整理することかもしれません。一歩引いて心を静めるシンプルな行為が、神が私たちの人生に語りかけるための余白を作り出すのです。 「スマートフォンを置きましょう。ヘッドフォンを外しましょう。一式を脇に置き、ただ騒音やプレッシャーから離れて過ごしましょう。」 --ブレーデン・ベック これであなたの問題がすべて解決するわけではありませんが、戻ってきた時、問題にどう対処するかの視点が変わるかもしれません。 Talk with God 神と話す 私たちは普段、ゲームやスマートフォン、エンターテインメントで隙間を埋めがちです。代わりにその退屈を神との対話で満たしたらどうでしょうか?神は実在する関係深い存在であり、私たちが真の交わりを体験できるように、御子を十字架で死なせ、復活させました。神はあなたの人生の出来事や直面しているプレッシャーを深く気にかけており、そのすべてに関わりたいと願っています。 人に頼る 一人で過ごす時間ばかりではいけません。あなたもイエスを追い求める人たちと時間を過ごす必要があります。静かな時間は重要で、先に述べたように、イエスも群衆から離れて神と共に過ごすことがよくありました。しかし、彼はまた、愛する仲間たちと共に食事をしたり、旅をしたり、他者に仕えたり、日常生活を共にしたりと、多くの時間を過ごしました。 クリスチャンとして、私たちは愛に満ちたコミュニティを持つ必要があります。もし、あなたのチームメイトがお互いを見下すのではなく、励まし合っていたら、あなたの人生はどれほど違ったものになるでしょうか?イエスを追い求める仲間たちに囲まれてください。そうすれば、この世のプレッシャーが迫ってくるときも、しっかりと立つことができます。 Go: -今、最もあなたの気を散らしているものは何ですか?その気を散らすものをイエスに置き換えるために何ができるでしょうか? ‐日々、主の前で静まる時間をどうやって見つけることができますか? ‐もし、つながりを持つ仲間がいないなら、彼らを見つけるために一歩踏み出しましょう。地元の教会に電話をして、小グループについて尋ねたり、FCAのハドルがあるか確認してみましょう。 読んでみよう:ヨハネ6:15、13:1, 17:23 お祈り: 「父よ、この世には多くの気を散らすものがあり、私をあなたから引き離そうとします。イエスが十字架で私のためにしてくださった真理に立つことができるように助けてください。そして、それが私をあなたに近づける動機となるようにしてください。あなたと話すことの意味を学び、共に歩む仲間を見つける助けを与えてください。イエスの御名によって、アーメン。」
2024年9月10日
シーズンは長く、私たちの体や心は疲弊していきます。  やがて私たちはトレーニングの中だるみ、乗り越えることのできない停滞期にぶつかることもあるでしょう。またシーズン途中で連日の試合で疲弊してしまうこともあります。これらの課題はよく直面するものです。 それらに加えて、家庭生活、宿題、周囲の期待などが同時に押し寄せてきます。あまりの多さに、毛布の下に潜り込み、ベッドから出たくないこともあるでしょう。 私たちには補給が必要です。私たちを癒す本当の補給を必要としているのです。 これは動画や映画を見続けるような即効性のあるものではなく、もっと深く、持続性のあるものです。イエス・キリストの深く癒される水で、ゆっくりと疲れた魂を補給することを切実に必要としているのです。 イエスはそのことを知っておられます。今もそうであるように、イエスは初めからそれを知っておられます。イエスは、私たちが止まることなく流れ続ける生ける水を飲むことができるよう、私たちに豊かな恵みを与えてくださるのです。 ヨハネによる福音書 7:38-38 この物語で、イエスはユダヤ人の祭りの最中に到着しましたが、そこは群衆が最高潮に膨れ上がり、人々は荒野での神の糧を思い起こし、約束の救い主の到来を待ち望むためにエルサレムに詰めかけていました。イエスは神殿で教え始め、パリサイ人や宗教指導者たちと交わります。イエスの話を聞こうと、多くの人々が集まり、熱気に包まれていた。イエスは見回して、人々が巡礼の旅で疲れ、律法の下で労苦しどれほど疲れているかを見ました。イエスは、人々が何を必要としているかを知っておられたのです。そして、それを熱心に、すぐさま彼らに提供されました。イエスは、生ける水の流れという比喩を通して、御自身をささげられたのです。
2024年8月8日
目的を持ってプレーする方法 神の栄光のために生きることを学ぶとき、それはすべてに影響を与える。 「神は私を目的のために造られたと信じているが、同時に私を速く造られた。そして走る時、神の喜びを感じる。」 エリック・リデル、1924年オリンピック選手、宣教師 スコットランドのランナー、エリック・リデルの物語は伝説的であり、映画『炎のランナー』の原作として有名です。リデルは宣教師の家庭で育ちましたが、走る才能にも恵まれていました。彼の足は、宣教師として中国へ行く前に、1924年のオリンピックへ彼を連れて行ったのです。 リデルの物語を知る人には、スポーツと信仰が、神のみがなしうる方法でどのように交わるかを見ることができるでしょう。アスリートとして、私たちは特定の方法で造られています。強く、速く、背が高く、低く、爆発的で、競争力があるようにできています。私たちは勝利のチャンスのためなら、時間と身体を犠牲にすることも厭いません。私たちの多くは、スポーツ選手としての野心や能力を、神からの賜物であり、神を礼拝するための手段であると認識していないでしょう。神は、私たちが運動能力や競争力のある才能を発揮するのをご覧になることを大変喜ばれます。このことは、私たちのパフォーマンスからプレッシャーを取り除き、私たちが自分自身に問いかけるべきモチベーションを中心に据えることになります。私たちは一人の観客のためにプレーしているでしょうか? 私たちは、目的意識を持って、また礼拝の行為として競技に臨む方法を認識する前に、まず人生の目的の核心をつかまなければなりません。スポーツは、私たちの中にある利己的な側面を簡単に解き放ってしまうものだということを、私たちは正直に認めなければならないのです。私たちは、自分のパフォーマンスに集中するあまり、主の栄光を反映する機会に目を向けることができないからです。 フィールドやトラックを歩くとき、あるいはラケットを手にするとき、私たちがそこにいる唯一の理由は、創造主がそうすることを望んでおられるからだということを認めているでしょうか?私たちはスポーツにおけるより大きな目的、それは主の素晴らしさを知らしめることであることを簡単に見失ってしまいます。私たちはどのように目的を持って競技に臨めば良いでしょうか? ひとりの時間 箴言4:23 あなたの心を守るために、神と二人きりの時間を意識的に持ちましょう。プライベートで起こることは、公の場で起こることに影響します。この時間は、神に対して姿勢を正すように心を訓練する時間なのです。 私たちはスポーツのトレーニングに時間を捧げる方法を知っています。この静かな空間と祈りの時間の中で、次の3つのことに集中し、目的を持ってプレーする姿勢を作りましょう: 1)プレーできることを神に感謝する。競技の場に足を踏み入れる前に、賛美の短いことばをささやくことは誰にでもできる。 2)スポーツを自分だけのものにしてしまっていることを認め、悔い改める。 3)神が賛美に値する方であることを知り、神があなたをそのように造られたことを認める。競技をするとき、神の喜びを感じることができる。 神と2人きりで過ごす熱心な時間は、フィールドでのあなたの信仰に影響を与えます。あなたはあらゆる種類の挑戦と勝利に直面するでしょう。静かな空間の中で、あなたはスポーツのためにあなたを創造し、勝ち負けをはるかに超えた目的意識をもってあなたを創造された方との関係を深めていくのです。 敬意 ペテロの手紙第一2:17 チームメイトやコーチを敬うことは、彼らだけでなく、あなた自身にも大きな影響を与えます。敬うという言葉は、態度やチームの団結、考え方を変えることができるのです。 コーチやチームメイトに敬意を払うにはどうすればいいのでしょうか? ・互いやライバルを中傷するようなチーム内のおしゃべりは決してしないこと。 ・コーチの時間と努力に口頭で感謝する。 ・チームが団結する方法を作る。 ・チームメイトを最初に励まし、公の場で褒める。 ・トレーニングの実践において最善を尽くす。 ・互いに受け入れ合う。 ・ソーシャルメディア上では賢く、配慮を持って発言する。 ・フィールド内では競争心を持ち、フィールド外では思いやりを持つ。 奉仕 ペテロの手紙第一4:10 他人によく仕えることは、アスリートとしてできる最も影響力のあることの一つです。他人に奉仕するとき、私たちはその人を高め、自分の心を喜びで満たします。奉仕の行為は、一般的に受け入れられているアスリートの自己顕示欲を満たす行為とは対極にあるものであるため、奉仕の行為は私たちの周りの人々に奉仕する神の方法なのです。 人に奉仕することでリードしましょう。練習に率先して参加したり、練習場のピッチを掃除したり、つらい思いをしているチームメイトにメールを送ったりしましょう。もしあなたがスポーツの特定の分野で才能があるなら、チームメイトのトレーニングに特別な時間を費やすことを申し出ましょう。奉仕の方法はたくさんあり、神は、あなたが神と2人きりで過ごす時間の中で、それらをあなたの心に置きます。それはすべて、あなたが今いる場所で戦っている理由の一部なのです。 コロサイ人への手紙3:17 私たちは神の栄光のために造られており、目的を持ってプレーすることで、神から与えられた肉体をユニークな方法で活用し、神を礼拝することができます。負けてがっかりすることも、勝って喜ぶこともありますが、どちらも自分の価値を決めるものではありません。私たちのパフォーマンスからプレッシャーを取り除き、本当にそれに値する方にスポットライトを当てるのです。 生き抜く ローマ人への手紙15:13 エペソ人への手紙4:22-24 質問 : あなたが戦う目的は何ですか?その目的について、神はどのように語っておられますか? チャレンジしてみましょう: エペソ人への手紙4章22節から24節を暗記し、競技をするときこの言葉があなたの心を支配するようにしてください。 一人の観客(神)のためにプレーするとき、あなたのパフォーマンスには違いがあります。あなたの信仰をフィールドに持ち込み、主があなたのパフォーマンスに影響を与えてくださるよう期待しましょう。
2024年7月11日
選手がトレーニングや競技をする理由はさまざまです。健康、フィットネス、楽しみ、友情、喜び、達成感、あるいは大義名分など、非常に崇高な理由もあるでしょう。また、自己尊厳、自己イメージ、プライド、エゴ、賞、虚栄心など、自己中心からくるものもあるかもしれません。どんな理由であれ、選手は常に「なぜ」という問いに答えなければなりません:「なぜトレーニングを詰み、試合に臨み、競技生活を送るのか?」 選手は自分の選んだスポーツに多くの時間、エネルギー、資源を投資します。トレーニングや競技をスケジュールや生活に組み込むには、特別な配慮と計画が必要です。トレーニングや競技には、コミットメント、一貫性、能力、コーチング能力、集中力、自信が必要です。選手は、なぜ競技をするのかだけでなく、「誰のために」競技をするのかを決めなければなりません。自分のためなのか、他人のためなのか、それとも神のためなのか。 さて、神が選手にトレーニングや競技をする能力、情熱、技術、欲求を授けたという事実を考えてみましょう。ヤコブ1:17は、すべての賜物は神からのものだと教えています。私たちは皆、異なる才能と神から与えられた賜物を持っていますが、それらはすべて重要であり、神の御国のために用いることができます。聖書を通して、私たちは神の栄光のために「すべて」を行うようにと言われています。キリストのために競い合うことは、礼拝の行為です。 キリストのために競い合うとき、私たちは他の人々を伝道し、弟子とする機会を得ます。オリンピック短距離走選手のトレイボン・ブロメルは、「一日の終わりに、神は私に、神がどれほど力強いお方であるかを示され、私がすべきことをする理由を示された。僕はみんなに、肩書きは関係ないと言っている。メダルのためでもない。救われるべき何百万人もの人々に手を差し伸べることなんだ」と言っています。 あなたはキリストのために戦う準備ができていますか? ・あなたがトレーニングやレースをする理由を考える時間をとってください。 ・自分のスポーツを神にゆだね、神に導かれて神のために競い合いましょう。 ・トレーニングやレースをしながら、どのような方法で神に栄光をもたらすことができますか? 「主よ、御言葉を通して、私たちがすることすべてにおいてあなたに栄光をもたらすことができることを教えてくださってありがとうございます。トレーニングし、競い合う情熱と能力を私たちに与えてくださり、これをあなたに向けてあなたのために引き揚げさせてくださることを感謝します。私たちをもっとイエスのようにしてください。アーメン!」
2024年6月14日
コーチやアスリートは準備に多大な時間とエネルギーを費やします。試合に臨む前、彼らはしばしば 「自分たちの準備はできているだろうか?」と問いかけるでしょう。スポーツや特定のイベントを成功させるために、様々な角度から考察し、準備の段取りを考えます。彼らは身体、感情、人間関係、そして全体的な細部にまで注意を払います。 キリストを信じ、キリストに従っているコーチやアスリートには、さらに大きな目的があります。彼らは多くの時間とエネルギーをスポーツに費やすよりも、信仰において成長することに費やすでしょう。人生のすべての領域で主を第一に求める。頻繁に神の臨在の中に足を踏み入れ、神の声に耳を傾け、他の人々と霊的に関わることによって神の御業に加わるようにとの神の招きを受け入れるのです (1テモテ4:7b-8) 神の召しを受け入れたコーチやアスリートは、まず神の御言葉に触れ、義の訓練に時間を費やし、神の導きと指示を求めます。神について人に話す前に、神が自分の人生につなげてくれた人々について神に祈るのです。そして、神の恵みとあわれみを振り返り、信仰に踏み出す準備ができているかどうかを判断しましょう。 神の御言葉に時間を費やし、トレーニングを重ね、戦略通りに臨む時、彼らは神の愛を完全に受け入れ、それを他の人々と分かち合いたいと熱望しています。 (ローマ15:13)でパウロが語っているように、彼らは聖霊と神の祝福の意識に満たされており、それが周囲の人々に溢れ出ていくのです。 あなたは、神の召しを受けて弟子となる準備ができていますか?神はあなたがそうであると信じておられる。さあ準備を整えて、前進しましょう! あなたの時間と優先順位を評価しましょう。どこに一番時間を費やしていますか? あなたの人生に対する神の目的を果たすために、あなたの人生とスケジュールにどのような調整が必要ですか? あなたの内に溢れるキリストから弟子を作って行く準備はできていますか? 考えてみましょう: ・あなたの時間と優先順位を評価しましょう。どこに一番時間を費やしていますか? ・あなたの人生に対する神の目的を果たすために、あなたの人生とスケジュールにどのような調整が必要ですか? ・あなたの内に溢れるキリストから弟子を作って行く準備はできていますか?
By Japan Staff 2024年5月2日
心や体への燃料補給は重要で、トレーニングの序盤あっても、重要な試合の終盤であっても関係なく、絶え間なく続ける必要のあるサイクルです。クリスチャンにも同じことが言えます。超自然的な喜びと希望をもたらす霊的な燃料の補給が必要なのです。 イエスが天に帰ろうとしていたとき、弟子たちもより一層の成長を必要としていました。彼らはイエスが与えてくださった新しい目的をどのように果たせばいいのかわかりませんでしたが、イエスは帰られる前に、聖霊の助けが近づいていることを約束されたのです(使徒1:8)。 それから2週間も経たないうちに、弟子たちは、五旬節と言うユダヤ教の祭りの間、一つの所に集まり、祈りながら待っていました。使徒2:1-13にあるように、そこで信じられない奇跡が起こります。 外にいた人々は様々な言語を話していましたが、弟子たちが話していることは皆理解できるようになったのです。ペテロはその後、大胆で力強いメッセージを群衆に語りかけ(使徒2:14-41)、弟子たちの人生に働かれる聖霊からいただく新しい力の証となりました。 聖霊が来られた出来事(ペンテコステ)の後、クリスチャンたちは神が彼らの人生に用意された道に備えて、毎日集まり始めます(マタイ28:19-20、使徒1:8)。 弟子たちは神の御言葉を学び、祈りの時を過ごし、共に交わりを持つ中で、初代教会は急速に大きく成長しました。彼らが神を学び体験する中で、他にも驚くべきことが起こります。 スポーツ選手であれば、競技に備えるための練習や戦術が必要です。明確な指示や指導がないと残念な結果につながるでしょう。 聖書はクリスチャンのためにあります。聖書は神の主権を持つ御言葉であり、イエス・キリストの福音を通したすべての真理、あなたが神のために生きるために必要なすべてを含んでいます。 これはパフォーマンスを発揮するために肉体的、精神的な燃料が必要なのと同じように、あなたの人生に与えられた神の目的を歩むために、霊的な燃料が必要なのです。神との一貫したコミュニケーションは、あなたを神に近づけ、心に平安と喜びをもたらします。 毎日あなたの心に燃料を補給する2つの重要な方法があります:神の御言葉を学び、祈りの時間を過ごすことです。パーソナルトレーニングのように、あなたは個人的にハードワークをこなさなければならないが、常に一人で取り組むことを意味してはいません。実際、神はキリストにおける新しい目的のために燃料を補給し続けるもう一つの方法として、あなたにコミュニティを与えてくれたからです。 クリスチャンのコミュニティという霊的燃料は、初代教会が生き残るための鍵でした。彼らはあらゆる方面からの迫害に直面する中で、 イエスの福音を世界に伝えるという目標に向かってチーム組み、励まし 支えあって進んでいったのです。 御言葉 、祈り、 コミュニティ を通して神の喜びと平安を補給すれば、どんな困難が訪れても、知恵と力をもって立ち向かうことができる のです。(エペソ3:19) 転載翻訳: https://fca247.org/refuel-247
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