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奉仕に関する10の理不尽な掟

Dan Britton • 2023年12月8日

あなたの人生に最も影響を与えた人々について考えてみましょう。彼らは自分の成功だけに焦点を当てた人でしたか?それとも無私無欲で他人に仕えた人でしたか?注目を集めることなく自身を惜しみなく提供する人は、最も大きな影響を残すことがよくあります。


クレイグは私の人生におけるそうした人物の一人でした。彼は私の高校の青少年グループボランティアで、決して表立って発言したり、グループをリードすることはありませんでしたが、舞台裏で私や多くの人を支えてくれた人でした。彼は私の家に現れトレーニングを手伝い、一緒に走りに行き、一緒に祈ってくれました。彼は私を愛し、気遣い、仕えてくれました。そして、自分の利益のために行っているところを誰も目撃しない歩みは私の人生に大きな影響を与えました。


今日、人々は注目を浴びて認められるよう努めています。しかし、無私の奉仕の力を覚えておくことが重要です。他人に仕えることは弱さの表れではありません。他人を優先することを選択すると、私たちは充実感の泉に満たされます。真の素晴らしさは、自分の賜物や才能をどのように使って周囲の人々の生活を祝福するかにあられます。イエスは無私無欲の究極の模範を示しました。イエスは弟子たちの足を洗い、病人を癒し、人々のために命を捧げました。


あなたは、犠牲的かつ謙虚な方法で他の人に仕える意欲がありますか?不平不満はありませんか?賞賛、感謝、励ましがなくても平気ですか?ただ仕える喜びを味わいたいという純粋な願望はありますか?仕えることに夢中ですか?周りで傷ついている人々に仕える情熱はありますか?奉仕における究極の目的はキリストの栄光を讃えることであることをご存知ですか?


リック・ウォーレン牧師は、「世界は権力、所有物、名声、地位の観点から素晴らしさを定義します。ですから『自分第一』の精神を持つ利己的な文化においては、奉仕者のように振る舞うことは決して注目されるものではありません。しかし、私たちは他者に仕えることで神に仕えるのです。」と語った。私たちは「自分第一」の考え方に苦しんでいます。私たちは、特にスポーツの世界に関しては、自分の才能や業績のせいで他人よりも優れているという嘘を信じてしまいます。


人に仕えるときは、意図的、積極的であり、親密さが必要です。奉仕に対する私たちの情熱は心から出たものでなければなりません。サミュエル・チャドウィックは、「霊に満たされた魂は神のために燃えています。彼らは輝く愛で愛します。彼らは燃え上がる信仰で仕えます。彼らは献身的に仕えます。彼らは燃えるような激しさで罪を憎みます。彼らは喜びます。喜びが放射され、愛は神の火の中で完成されるのです。」


私は、FCA の価値観の 1 つが誠実さ、チームワーク、卓越性と並んで奉仕であることが大好きです。基本的な価値観は、競争の場の内外を問わず、あらゆる関係において実践される必要があります。私たちFCAは単なるスポーツミニストリーではなく、仕えていく働きとして知られることを望んでいます。スポーツには、イエスの手足となる意欲のあるコーチや選手が切実に必要とされています。私たちの願いは、スタッフやボランティアが毎日起きて、「主よ、今日は誰に仕えればよいでしょうか?」とただ祈ることです。このたった一つの祈りがスポーツの世界を変えるかもしれません。コーチ、アスリート、スタッフ、サポーター、ボランティア、保護者の方々が無私無欲かつ犠牲的に奉仕する姿を見るのが待ちきれません。


イエスは考えられないことを行いました。リーダーシップを「仕えること」と再定義したのです。ヨハネによる福音書13 章で、イエスは私たちに明確な例を示し、私たちも同じようにすべきだと言いました。それが「奉仕に関する 10 の理不尽な掟」をまとめた理由です。これらは私がキリストのように仕えるのを助けてくれました。私たちの生きる世界では、仕えるのではなく導くように、ひざまずくのではなく立ち上がるように、タオルではなくマイクを掴むようにと理不尽ながら教えられています。しかし、神は私たちに心を尽くして仕えることによって、思いもよらないことや理不尽なことをあえてするよう呼びかけておられるのです。


1. 奉仕は義務ではなく愛です。奉仕は、作られた努力ではなく、自然にあふれ出るものであるべきです。奉仕は、単調な仕事ではなく、願望から生まれます。


2. 奉仕とはプロジェクトではなく、関係性です。あなたは何かを達成すること、または誰かを祝福することのどちらに重点を置いていますか?


3. 奉仕するのは自分のためではなく、他人のためです。自制は奉仕の核心です。自分のことばかり考えている状態で人に仕えられないのです。


4. 奉仕には犠牲が伴い、片手間でやるものではありません。犠牲は常に重要な要素です。


5. 奉仕する私たちは所有者ではなく世話役です。奉仕のやり方をコントロールしていませんか?奉仕による祝福は私たちではなく神が所有しているのです。


6. 奉仕は認知度を高めるものではありません。仕えるときは謙虚さが大事です。認知を求めるものではないのです。


7. 奉仕は手ではなく心で行うものです。奉仕は内部の働きです。批判的で不安な心のままで仕えることはできません。


8. 奉仕は人ではなく神に関するものです。私たちには神の心が必要です。神を利用するのではなく、神の目的のために神に用いられてください。


9. 奉仕は義務ではなく機会です。喜びは奉仕の副産物です。それは簡単ではなく、難しいことでしょう。


10. 奉仕するという選択肢はありません。イエスは私たちに例を示しました。私たちは奉仕しなければなりません。


私たちは奉仕を徹底的に取り組む必要があります。もし私たちがこの10の掟を実行し、家族、チームメイト、仲間、コミュニティのために情熱を注いだらどうなるでしょうか?その革命は私たちから始めるべきではないでしょうか?覚えておいてください。イエスは世を導くためではなく、世に仕えるために来たのであり、私たちから始まるのです。


父よ、私は毎日「自分第一」の精神と戦っています。あなたの前で私の自己中心さを告白します。私は奉仕することに夢中になる人でありたいと思っています。あなたの掟に従い、仕える者になりたいです。自分の必要よりも他人の必要を優先することに喜びと充実感を見出せるように教えてください。イエスの御名によってお祈りします。アーメン。


翻訳元:https://www.fca.org/fca-in-action/blog-detail/2023/11/30/the-10-irrational-laws-of-serving

FCA in Action

2024年12月16日
神はあなたにコーチとして特別な使命を与えています。
2024年11月9日
あなたの周りには、あなたを励まし、イエスの近くにいさせてくれる人たちがいます。 ターニャ・ハンセン(FCAミネソタ事務アシスタント) 競泳選手として、私はずっとこのスポーツを「一人で戦うもの」として捉えていました。というのも、大半の時間は頭を水中に沈め、世の中の音はすべて水面の上にあるように感じられたからです。しかし、平泳ぎで私を元気づけてくれるものは、泳いでいるときに聞こえてくるチームメイトの声援でした。耳が水面に出るたびに、観客の音に混じって彼らの声が届き、励まされました。 彼らが応援してくれると、私のタイムは格段に良くなったことに驚きはありません。応援はレースを楽しいものにし、私自身も成長させてくれるのです。 独立心や自己完結が称賛されがちな世の中では、私たちが本来一人で生きるようには造られていないことを忘れがちです。1テサロニケ5章でパウロが教えているのは、主や互いを頼りにすることで得られる驚くべき強さと自由です。社会の圧力とは逆に、すべての重荷を自分一人で背負う必要はありません。私たちは、共同体のため、責任のため、互いに助け合うために造られたのです。(1テサ5:11) この聖句には励ましの本質が凝縮されていますが、この励ましの意味をより深く掘り下げることが不可欠です。それは単に励まし合うということにとどまりません。私たちの救いと永遠の命の希望という深い真理に沿った生き方をするよう、互いに鼓舞し合うことなのです。 テサロニケ人への手紙を書いたパウロは、励ましの力をよく知っていました。この箇所で彼は信徒たちに、自らも励ます人になるように勧めています。パウロは、私たちが互いに励まし合い、高め合うことができるのは、私たちの救いの真理と、その救いがもたらす変容の効果に由来することを強調しています。私たちはただ孤立して救われたのではなく、同胞である信者たちが輝かしい変容を経験し、勝利に満ちた未来を受け入れるのを助けるように召されているのです。 パウロの励ましの模範は、その前の箇所(1テサ5:4-10)にあります。パウロはテサロニケの信徒たちに、イエスへの信仰によって光の子どもであることを思い出させています。これは、イエス・キリストを通して神から与えられた信仰と愛と救いの武具を用心深く活用することを意味しています。 光の子ども パウロはキリストにある私たちのアイデンティティを認識することの重要性を強調しています。クリスチャンは光の子どもであり、贖われたことを自覚し、神の真理と恵みを伝える者として生きるように召されています。 信仰、愛、救いの武具 パウロは、信仰、愛、救いの武具を身につけるようクリスチャンに勧めています。これらの霊的な武具が身を守り、力を与えてくれるので、私たちは人生の試練をたくましく乗り越えることができ、同じように仲間の信者を励ますことができるのです。 コミュニティの役割 パウロのメッセージは明確です。この旅路で私たちは一人ではありません。互いに励まし合い、責任を持つために互いを必要としています。鉄が鉄を研ぐように、私たちは互いに成長し、成熟し、信仰に堅く立つことができるのです。 パウロの例を見ると、励ましは「光の子ども」としてのアイデンティティを理解し、神の武具を身に付けることから生まれることがわかります(エペソ6:10-18参照)。コミュニティと相互支援を通して、私たちは互いに励まし合い、高めあうという召しを果たすことができ、人生の輝かしい変革を成し遂げ、勝利の未来へと向かうのです。 私たちは励ましの力を受け入れ、人生を一人で歩む必要はないこと、キリストと信徒の共同体の支えにおいて真の強さがあることを認識しましょう。彼らは人生をより楽しくし、私たちをより良くしてくれるのです。 実践のすすめ ローマ15:13; エペソ3:19 質問: あなたのコミュニティにはどのような人たちがいますか?彼らはどのようにあなたの信仰を成長させてくれますか? チャレンジ: もしまだ周りにそのような人たちがいなければ、神がふさわしい人を連れて来てくださるよう祈りましょう。そして、定期的に集まれるように計画を立てましょう。私たちは共にいるほうが良いのです。 行動への招き: アスリートとして、私たちは一度にたくさんのことに対処します。練習、学業、人間関係、先発出場へのプレッシャー......。適切なバランスとリズムをもたらす方法を見つけましょう。 記事:ターニャ・ハンセン(FCAミネソタ事務アシスタント) https://www.fca.org/fca-in-action/2024/09/03/you-don't-have-to-do-it-alone 翻訳:FCAジャパン 
2024年10月16日
寄稿:ブレーデン・ベック (翻訳:FCAジャパン) Ready: ヨハネ 8:32 Set: 眩いばかりの照明。大観衆の歓声。最高の舞台に立つ競技のスリル。選手なら誰もが描く夢の状況でしょう。 しかし、もしあなたがプレッシャーに耐えられないとしたら、その様な状況を望まないかもしれません。 確かに、大舞台で最高のパフォーマンスを発揮できるほど気持ちの良いことはありませんが、試合以外の時間はどうでしょうか?練習、家、学校での時間、友達との時間など、それらすべての場面でプレッシャーを感じているとしたら、私たちはよくない方向へ歩んでしまい、いつかくじけてしまうでしょう。それは時間の問題です。 イエスはスマートフォンを持ったこともなければ、プロスポーツの大会に出たこともありませんが、確実にプレッシャーに直面していました。そして、そのプレッシャーを乗り越えて歩む方法を私たちに示して下さいました。日々のプレッシャーを理解し、対処するためには、真理である神の言葉に立ち返る必要があります。そこで、イエスがどのように生きたかを知り、私たちもそれに従って生きることができるのです。 静まる時を見つける 日常の騒音から離れる時間を見つけましょう。イエスもそうしていました。(ルカ5:16) 静かな時間を見つけることは、あなたにとってどのような意味を持っていますか?もしかしたら、朝に15分早く起きて聖書を読み、祈り、自分だけの時間を持つことかもしれません。または、練習後に少し遅くまで残ってフィールドに座り、考えを整理することかもしれません。一歩引いて心を静めるシンプルな行為が、神が私たちの人生に語りかけるための余白を作り出すのです。 「スマートフォンを置きましょう。ヘッドフォンを外しましょう。一式を脇に置き、ただ騒音やプレッシャーから離れて過ごしましょう。」 --ブレーデン・ベック これであなたの問題がすべて解決するわけではありませんが、戻ってきた時、問題にどう対処するかの視点が変わるかもしれません。 Talk with God 神と話す 私たちは普段、ゲームやスマートフォン、エンターテインメントで隙間を埋めがちです。代わりにその退屈を神との対話で満たしたらどうでしょうか?神は実在する関係深い存在であり、私たちが真の交わりを体験できるように、御子を十字架で死なせ、復活させました。神はあなたの人生の出来事や直面しているプレッシャーを深く気にかけており、そのすべてに関わりたいと願っています。 人に頼る 一人で過ごす時間ばかりではいけません。あなたもイエスを追い求める人たちと時間を過ごす必要があります。静かな時間は重要で、先に述べたように、イエスも群衆から離れて神と共に過ごすことがよくありました。しかし、彼はまた、愛する仲間たちと共に食事をしたり、旅をしたり、他者に仕えたり、日常生活を共にしたりと、多くの時間を過ごしました。 クリスチャンとして、私たちは愛に満ちたコミュニティを持つ必要があります。もし、あなたのチームメイトがお互いを見下すのではなく、励まし合っていたら、あなたの人生はどれほど違ったものになるでしょうか?イエスを追い求める仲間たちに囲まれてください。そうすれば、この世のプレッシャーが迫ってくるときも、しっかりと立つことができます。 Go: -今、最もあなたの気を散らしているものは何ですか?その気を散らすものをイエスに置き換えるために何ができるでしょうか? ‐日々、主の前で静まる時間をどうやって見つけることができますか? ‐もし、つながりを持つ仲間がいないなら、彼らを見つけるために一歩踏み出しましょう。地元の教会に電話をして、小グループについて尋ねたり、FCAのハドルがあるか確認してみましょう。 読んでみよう:ヨハネ6:15、13:1, 17:23 お祈り: 「父よ、この世には多くの気を散らすものがあり、私をあなたから引き離そうとします。イエスが十字架で私のためにしてくださった真理に立つことができるように助けてください。そして、それが私をあなたに近づける動機となるようにしてください。あなたと話すことの意味を学び、共に歩む仲間を見つける助けを与えてください。イエスの御名によって、アーメン。」
2024年9月10日
シーズンは長く、私たちの体や心は疲弊していきます。  やがて私たちはトレーニングの中だるみ、乗り越えることのできない停滞期にぶつかることもあるでしょう。またシーズン途中で連日の試合で疲弊してしまうこともあります。これらの課題はよく直面するものです。 それらに加えて、家庭生活、宿題、周囲の期待などが同時に押し寄せてきます。あまりの多さに、毛布の下に潜り込み、ベッドから出たくないこともあるでしょう。 私たちには補給が必要です。私たちを癒す本当の補給を必要としているのです。 これは動画や映画を見続けるような即効性のあるものではなく、もっと深く、持続性のあるものです。イエス・キリストの深く癒される水で、ゆっくりと疲れた魂を補給することを切実に必要としているのです。 イエスはそのことを知っておられます。今もそうであるように、イエスは初めからそれを知っておられます。イエスは、私たちが止まることなく流れ続ける生ける水を飲むことができるよう、私たちに豊かな恵みを与えてくださるのです。 ヨハネによる福音書 7:38-38 この物語で、イエスはユダヤ人の祭りの最中に到着しましたが、そこは群衆が最高潮に膨れ上がり、人々は荒野での神の糧を思い起こし、約束の救い主の到来を待ち望むためにエルサレムに詰めかけていました。イエスは神殿で教え始め、パリサイ人や宗教指導者たちと交わります。イエスの話を聞こうと、多くの人々が集まり、熱気に包まれていた。イエスは見回して、人々が巡礼の旅で疲れ、律法の下で労苦しどれほど疲れているかを見ました。イエスは、人々が何を必要としているかを知っておられたのです。そして、それを熱心に、すぐさま彼らに提供されました。イエスは、生ける水の流れという比喩を通して、御自身をささげられたのです。
2024年8月8日
目的を持ってプレーする方法 神の栄光のために生きることを学ぶとき、それはすべてに影響を与える。 「神は私を目的のために造られたと信じているが、同時に私を速く造られた。そして走る時、神の喜びを感じる。」 エリック・リデル、1924年オリンピック選手、宣教師 スコットランドのランナー、エリック・リデルの物語は伝説的であり、映画『炎のランナー』の原作として有名です。リデルは宣教師の家庭で育ちましたが、走る才能にも恵まれていました。彼の足は、宣教師として中国へ行く前に、1924年のオリンピックへ彼を連れて行ったのです。 リデルの物語を知る人には、スポーツと信仰が、神のみがなしうる方法でどのように交わるかを見ることができるでしょう。アスリートとして、私たちは特定の方法で造られています。強く、速く、背が高く、低く、爆発的で、競争力があるようにできています。私たちは勝利のチャンスのためなら、時間と身体を犠牲にすることも厭いません。私たちの多くは、スポーツ選手としての野心や能力を、神からの賜物であり、神を礼拝するための手段であると認識していないでしょう。神は、私たちが運動能力や競争力のある才能を発揮するのをご覧になることを大変喜ばれます。このことは、私たちのパフォーマンスからプレッシャーを取り除き、私たちが自分自身に問いかけるべきモチベーションを中心に据えることになります。私たちは一人の観客のためにプレーしているでしょうか? 私たちは、目的意識を持って、また礼拝の行為として競技に臨む方法を認識する前に、まず人生の目的の核心をつかまなければなりません。スポーツは、私たちの中にある利己的な側面を簡単に解き放ってしまうものだということを、私たちは正直に認めなければならないのです。私たちは、自分のパフォーマンスに集中するあまり、主の栄光を反映する機会に目を向けることができないからです。 フィールドやトラックを歩くとき、あるいはラケットを手にするとき、私たちがそこにいる唯一の理由は、創造主がそうすることを望んでおられるからだということを認めているでしょうか?私たちはスポーツにおけるより大きな目的、それは主の素晴らしさを知らしめることであることを簡単に見失ってしまいます。私たちはどのように目的を持って競技に臨めば良いでしょうか? ひとりの時間 箴言4:23 あなたの心を守るために、神と二人きりの時間を意識的に持ちましょう。プライベートで起こることは、公の場で起こることに影響します。この時間は、神に対して姿勢を正すように心を訓練する時間なのです。 私たちはスポーツのトレーニングに時間を捧げる方法を知っています。この静かな空間と祈りの時間の中で、次の3つのことに集中し、目的を持ってプレーする姿勢を作りましょう: 1)プレーできることを神に感謝する。競技の場に足を踏み入れる前に、賛美の短いことばをささやくことは誰にでもできる。 2)スポーツを自分だけのものにしてしまっていることを認め、悔い改める。 3)神が賛美に値する方であることを知り、神があなたをそのように造られたことを認める。競技をするとき、神の喜びを感じることができる。 神と2人きりで過ごす熱心な時間は、フィールドでのあなたの信仰に影響を与えます。あなたはあらゆる種類の挑戦と勝利に直面するでしょう。静かな空間の中で、あなたはスポーツのためにあなたを創造し、勝ち負けをはるかに超えた目的意識をもってあなたを創造された方との関係を深めていくのです。 敬意 ペテロの手紙第一2:17 チームメイトやコーチを敬うことは、彼らだけでなく、あなた自身にも大きな影響を与えます。敬うという言葉は、態度やチームの団結、考え方を変えることができるのです。 コーチやチームメイトに敬意を払うにはどうすればいいのでしょうか? ・互いやライバルを中傷するようなチーム内のおしゃべりは決してしないこと。 ・コーチの時間と努力に口頭で感謝する。 ・チームが団結する方法を作る。 ・チームメイトを最初に励まし、公の場で褒める。 ・トレーニングの実践において最善を尽くす。 ・互いに受け入れ合う。 ・ソーシャルメディア上では賢く、配慮を持って発言する。 ・フィールド内では競争心を持ち、フィールド外では思いやりを持つ。 奉仕 ペテロの手紙第一4:10 他人によく仕えることは、アスリートとしてできる最も影響力のあることの一つです。他人に奉仕するとき、私たちはその人を高め、自分の心を喜びで満たします。奉仕の行為は、一般的に受け入れられているアスリートの自己顕示欲を満たす行為とは対極にあるものであるため、奉仕の行為は私たちの周りの人々に奉仕する神の方法なのです。 人に奉仕することでリードしましょう。練習に率先して参加したり、練習場のピッチを掃除したり、つらい思いをしているチームメイトにメールを送ったりしましょう。もしあなたがスポーツの特定の分野で才能があるなら、チームメイトのトレーニングに特別な時間を費やすことを申し出ましょう。奉仕の方法はたくさんあり、神は、あなたが神と2人きりで過ごす時間の中で、それらをあなたの心に置きます。それはすべて、あなたが今いる場所で戦っている理由の一部なのです。 コロサイ人への手紙3:17 私たちは神の栄光のために造られており、目的を持ってプレーすることで、神から与えられた肉体をユニークな方法で活用し、神を礼拝することができます。負けてがっかりすることも、勝って喜ぶこともありますが、どちらも自分の価値を決めるものではありません。私たちのパフォーマンスからプレッシャーを取り除き、本当にそれに値する方にスポットライトを当てるのです。 生き抜く ローマ人への手紙15:13 エペソ人への手紙4:22-24 質問 : あなたが戦う目的は何ですか?その目的について、神はどのように語っておられますか? チャレンジしてみましょう: エペソ人への手紙4章22節から24節を暗記し、競技をするときこの言葉があなたの心を支配するようにしてください。 一人の観客(神)のためにプレーするとき、あなたのパフォーマンスには違いがあります。あなたの信仰をフィールドに持ち込み、主があなたのパフォーマンスに影響を与えてくださるよう期待しましょう。
2024年7月11日
選手がトレーニングや競技をする理由はさまざまです。健康、フィットネス、楽しみ、友情、喜び、達成感、あるいは大義名分など、非常に崇高な理由もあるでしょう。また、自己尊厳、自己イメージ、プライド、エゴ、賞、虚栄心など、自己中心からくるものもあるかもしれません。どんな理由であれ、選手は常に「なぜ」という問いに答えなければなりません:「なぜトレーニングを詰み、試合に臨み、競技生活を送るのか?」 選手は自分の選んだスポーツに多くの時間、エネルギー、資源を投資します。トレーニングや競技をスケジュールや生活に組み込むには、特別な配慮と計画が必要です。トレーニングや競技には、コミットメント、一貫性、能力、コーチング能力、集中力、自信が必要です。選手は、なぜ競技をするのかだけでなく、「誰のために」競技をするのかを決めなければなりません。自分のためなのか、他人のためなのか、それとも神のためなのか。 さて、神が選手にトレーニングや競技をする能力、情熱、技術、欲求を授けたという事実を考えてみましょう。ヤコブ1:17は、すべての賜物は神からのものだと教えています。私たちは皆、異なる才能と神から与えられた賜物を持っていますが、それらはすべて重要であり、神の御国のために用いることができます。聖書を通して、私たちは神の栄光のために「すべて」を行うようにと言われています。キリストのために競い合うことは、礼拝の行為です。 キリストのために競い合うとき、私たちは他の人々を伝道し、弟子とする機会を得ます。オリンピック短距離走選手のトレイボン・ブロメルは、「一日の終わりに、神は私に、神がどれほど力強いお方であるかを示され、私がすべきことをする理由を示された。僕はみんなに、肩書きは関係ないと言っている。メダルのためでもない。救われるべき何百万人もの人々に手を差し伸べることなんだ」と言っています。 あなたはキリストのために戦う準備ができていますか? ・あなたがトレーニングやレースをする理由を考える時間をとってください。 ・自分のスポーツを神にゆだね、神に導かれて神のために競い合いましょう。 ・トレーニングやレースをしながら、どのような方法で神に栄光をもたらすことができますか? 「主よ、御言葉を通して、私たちがすることすべてにおいてあなたに栄光をもたらすことができることを教えてくださってありがとうございます。トレーニングし、競い合う情熱と能力を私たちに与えてくださり、これをあなたに向けてあなたのために引き揚げさせてくださることを感謝します。私たちをもっとイエスのようにしてください。アーメン!」
2024年6月14日
コーチやアスリートは準備に多大な時間とエネルギーを費やします。試合に臨む前、彼らはしばしば 「自分たちの準備はできているだろうか?」と問いかけるでしょう。スポーツや特定のイベントを成功させるために、様々な角度から考察し、準備の段取りを考えます。彼らは身体、感情、人間関係、そして全体的な細部にまで注意を払います。 キリストを信じ、キリストに従っているコーチやアスリートには、さらに大きな目的があります。彼らは多くの時間とエネルギーをスポーツに費やすよりも、信仰において成長することに費やすでしょう。人生のすべての領域で主を第一に求める。頻繁に神の臨在の中に足を踏み入れ、神の声に耳を傾け、他の人々と霊的に関わることによって神の御業に加わるようにとの神の招きを受け入れるのです (1テモテ4:7b-8) 神の召しを受け入れたコーチやアスリートは、まず神の御言葉に触れ、義の訓練に時間を費やし、神の導きと指示を求めます。神について人に話す前に、神が自分の人生につなげてくれた人々について神に祈るのです。そして、神の恵みとあわれみを振り返り、信仰に踏み出す準備ができているかどうかを判断しましょう。 神の御言葉に時間を費やし、トレーニングを重ね、戦略通りに臨む時、彼らは神の愛を完全に受け入れ、それを他の人々と分かち合いたいと熱望しています。 (ローマ15:13)でパウロが語っているように、彼らは聖霊と神の祝福の意識に満たされており、それが周囲の人々に溢れ出ていくのです。 あなたは、神の召しを受けて弟子となる準備ができていますか?神はあなたがそうであると信じておられる。さあ準備を整えて、前進しましょう! あなたの時間と優先順位を評価しましょう。どこに一番時間を費やしていますか? あなたの人生に対する神の目的を果たすために、あなたの人生とスケジュールにどのような調整が必要ですか? あなたの内に溢れるキリストから弟子を作って行く準備はできていますか? 考えてみましょう: ・あなたの時間と優先順位を評価しましょう。どこに一番時間を費やしていますか? ・あなたの人生に対する神の目的を果たすために、あなたの人生とスケジュールにどのような調整が必要ですか? ・あなたの内に溢れるキリストから弟子を作って行く準備はできていますか?
By Japan Staff 2024年5月2日
心や体への燃料補給は重要で、トレーニングの序盤あっても、重要な試合の終盤であっても関係なく、絶え間なく続ける必要のあるサイクルです。クリスチャンにも同じことが言えます。超自然的な喜びと希望をもたらす霊的な燃料の補給が必要なのです。 イエスが天に帰ろうとしていたとき、弟子たちもより一層の成長を必要としていました。彼らはイエスが与えてくださった新しい目的をどのように果たせばいいのかわかりませんでしたが、イエスは帰られる前に、聖霊の助けが近づいていることを約束されたのです(使徒1:8)。 それから2週間も経たないうちに、弟子たちは、五旬節と言うユダヤ教の祭りの間、一つの所に集まり、祈りながら待っていました。使徒2:1-13にあるように、そこで信じられない奇跡が起こります。 外にいた人々は様々な言語を話していましたが、弟子たちが話していることは皆理解できるようになったのです。ペテロはその後、大胆で力強いメッセージを群衆に語りかけ(使徒2:14-41)、弟子たちの人生に働かれる聖霊からいただく新しい力の証となりました。 聖霊が来られた出来事(ペンテコステ)の後、クリスチャンたちは神が彼らの人生に用意された道に備えて、毎日集まり始めます(マタイ28:19-20、使徒1:8)。 弟子たちは神の御言葉を学び、祈りの時を過ごし、共に交わりを持つ中で、初代教会は急速に大きく成長しました。彼らが神を学び体験する中で、他にも驚くべきことが起こります。 スポーツ選手であれば、競技に備えるための練習や戦術が必要です。明確な指示や指導がないと残念な結果につながるでしょう。 聖書はクリスチャンのためにあります。聖書は神の主権を持つ御言葉であり、イエス・キリストの福音を通したすべての真理、あなたが神のために生きるために必要なすべてを含んでいます。 これはパフォーマンスを発揮するために肉体的、精神的な燃料が必要なのと同じように、あなたの人生に与えられた神の目的を歩むために、霊的な燃料が必要なのです。神との一貫したコミュニケーションは、あなたを神に近づけ、心に平安と喜びをもたらします。 毎日あなたの心に燃料を補給する2つの重要な方法があります:神の御言葉を学び、祈りの時間を過ごすことです。パーソナルトレーニングのように、あなたは個人的にハードワークをこなさなければならないが、常に一人で取り組むことを意味してはいません。実際、神はキリストにおける新しい目的のために燃料を補給し続けるもう一つの方法として、あなたにコミュニティを与えてくれたからです。 クリスチャンのコミュニティという霊的燃料は、初代教会が生き残るための鍵でした。彼らはあらゆる方面からの迫害に直面する中で、 イエスの福音を世界に伝えるという目標に向かってチーム組み、励まし 支えあって進んでいったのです。 御言葉 、祈り、 コミュニティ を通して神の喜びと平安を補給すれば、どんな困難が訪れても、知恵と力をもって立ち向かうことができる のです。(エペソ3:19) 転載翻訳: https://fca247.org/refuel-247
2024年2月24日
アスリートになってよかったことのひとつは、チームに選ばれ、新しいユニフォームを着られることでしょう。実際にユニフォームを着て試合に出た最初の試合は言うまでもなく、高校でトップチームのユニフォームを初めて着たときの興奮と誇らしさは未だ忘れることはありません。しかし、大学へ進学して新たなユニフォームを受け取ったとたんに、高校時代のユニフォームを着ることはなくなります。高校は過去のもので、大学バスケットボールが私の現在地だからです。 私たちの人生には、過去の体験や名誉にしがみつく時期があるでしょう。私は、パウロがエペソ4章を通して、古いものを脱ぎ捨て、置くように教えていることをとても気に入っています。古いものを取り除き、新しいものに置き換える。イエスの命、死、復活を通して、私たちはイエスのうちに新しいアイデンティティと目的を持ちます。私たちの心も含めて、すべてを新しくされるのです。かつて私たちが誰であったか、何をしていたかは、もはや重要ではありません。重要なのは、神が私たちについて語っておられることであり、神が私たちを選び、愛する者と呼んでおられること。そして聖霊の力によって、私たちの心を新しくされることです。 新ユニフォームを受け取ることは、新たなシーズンがそう遠くないことを意味します。そして新しいシーズンは、私たちのチームが何かを成し遂げるかもしれないという大きな希望と興奮をもたらすでしょう。同様に神と共に歩む新しい生き方を受け取ることは、神が私たちの内に、そして私たちを通して成し遂げてくださることへの、より大きな希望と興奮を私たちにもたらします。神は私たちの思考、言葉、行動を新たにし、私たちの魂と心をリフレッシュしてくださるのです。キリストにあって新しく造られた者となる希望と喜びを受け取りましょう。古いものを捨て去り、神があなたに与えてくださる新しい約束の中に生きるのです。あなたは新しいチーム、神のチームの一員です。そして何より素晴らしいことは、誰が勝利を得るのかを知っていることです。 考えてみましょう: ・最も誇りに感じたユニフォームを覚えていますか?なぜそう思ったのですか? ・あなたの人生において、心、思考、身体、霊が新しくされるために祈りたいことはありますか? ・イエスが十字架の犠牲となって、あなたを新しくしてくださったことを感謝しましょう。
2024年1月17日
何年も前から、活発なピンクのウサギが登場するコマーシャルがあります。彼はエナジャイザー・バニーとして知られ、エナジャイザーという会社の電池を宣伝しています。そのスローガンは、電池はウサギのようにどんどん動き続け、長持ちするパワーを示すというものです。このコマーシャルは、これまでに無かった素晴らしいマーケティング戦略でしょう。 私たちは、休憩や リセットのために立ち止ま らず 、ひたすら前進し続けるなら、燃え尽きるか、少なくとも生産性と集中力が著しく低下するに 性質が あ ります 。しかし、コーチング、競技、ある いは神のために働くという、最も崇高な大義や情熱の名の下に、私たちは自分自身に対してエナジャイザー・バニーの様に動き続けていませんか?私たちは皆、それぞれのチームを準備するためにたゆまぬ努力を続けるコーチ や、いつもジムにいるアスリート、そして 生活のために働き続ける社会人 。 私たちは そのうちの一人 かもし れ ません。 聖書に登場する二人の姉妹は、毎日毎日がむしゃらに働くことがどのようなことなのか、そしてリセットボタンを押すことがどのようなことなのかを私たちに教えてくれています。マルタは、奮闘と奉仕に全力を注いてでいました。それは彼女の愛の言葉と言ってもいいでしょう。問題は、彼女が主であり救い主と共に過ごすこと以外に目が向いていたことです。ルカによる福音書を読むと、マルタは姉妹であるマリアが手伝ってくれないことに苛立ったことがわかります。一方、マリアは、リセットボタンを押すとはどういうことかを示す生きた模範です。マリアは、マルタと共に手伝うこともあったでしょう。しかし、イエスが現れたとき、マリアは立ち止まってイエスの前に座り、イエスを礼拝し、慕い求め、イエスに耳を傾けることにしたのです。マルタがイエスに不満を漏らし、マリアに助けを求めたとき、イエスはマリアがその瞬間、イエスと共にいることを正しく決断したことを思い出させました。大事なのは、時には一歩下がってゆっくりし、神の臨在にとどまり、神が私たちの優先順位を変え、リセットしてくださるようにすることなのです。 私たちは一日24時間、週7日、時速100マイルで走ることはできません。ただ主の御前に座っていることに大きな知恵があることを、マリアから学 びましょう。 考えてみましょう: 1. 休みなく仕事に打ち込み疲れ果てると、あなたはどの様になりますか? 2. あなたが神との歩みを楽しむためにペースを落とすと、あなたはどの様になりますか? 3. 主と共に過ごすことで、どのような恩恵を受けましたか?
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