ウィル・トンプソンは、日本へ戻る時にいつもこう思っていました。
「日出る国へ、私の心を魅了した人々と文化へ、そして野球へ。」
小学1年生の時、トンプソン一家は父親の仕事の関係でジョージア州アトランタから日本へ引っ越してきました。ウィルはその文化、人々、そして野球に対して影響を受け、心を育みます。
彼が中学校に入学する直前、家族はアトランタに戻りましたが、日本はウィルの心の中に留まり続けました。そして、日本のプロ野球選手になることを夢見てイリノイ州のウィートン大学に通い、シカゴの日本人教会へ行き、夏には語学学習と宣教活動のために来日します。地球の反対側にいても、日本と日本人はいつも彼の身近な存在だったのです。
大学4年生の時、神様は神の栄光のためにプロ野球選手となることが神様の願われていることではなく、ウィルの夢であったことを明らかにされました。ウィルは諦めなければなりませんでしたが、神様は彼の夢を別の形で用いられたのです。
2011年に大学卒業後、ウィルは夏の間、日本で語学学校に通いました。その時、神様はFCAを通して、長期的な日本での活動への願いを明らかにされました。
すでにFCAの働きは知っていましたが、国際的な働きの機会はありませんでした。しかし、神様はそれがスポーツミニストリーに適した時であることを印象づけ、2012年、ウィルは太平洋を越えて新しい故郷へと旅立つのです。
しかし、クリスチャンは人口の0.5%にも満たない文化の中でスポーツミニストリーの先駆者として活動することは、大きな課題です。
ウィルが来日してから3年後、落胆と孤独が襲ってきました。2015年10月に妻のキンバリーと結婚した後も、目に見える影響があるのか、時間や人間関係、エネルギーを費やしても最終的には収穫が得られるのかと疑問と葛藤しました。彼の人生のすべては、日本に戻って人やスポーツに注力したいという希望で満たされていましたが、そこに価値があったのだろうかと葛藤を抱くようになったのです。
スタッフとして5年目を迎えたウィルは、努力を続ける中で、徐々に芽生える人間関係を感謝しました。タカさんは、野球場の内外で共に時間を過ごし、質問や会話を続け、イエス・キリストを信じ受け入れました。彼はスポーツ界で影響を与える立場にあり、その才能と能力を神のために用いています。
ウィルにとって重要なことは、複数の野球リーグに参加したり、コーチングクリニックを開拓したり、地元のキャンプやクリニックにプロ野球選手を招待するなど、関係を築くことです。こうした一度きりのイベントから、ウィルは参加者とのつながりをさらに深めたいと考えていますが、ゆっくりと開いたドアがすぐに閉まってしまうような環境の中で根気強く活動しています。
日本の競技はほとんど最高レベルに達していると言えます。コーチングは体系的にアプローチされ、厳しさとストイックさを感じさせます。しかし、ウィルは、この文化に影響を与えたいと考えており、3Dコーチングの導入を計画しています。
「3Dコーチングが違いを生むことを彼らは理解するだろう」とウィルは言います。「日本のコーチが敬遠する宗教的な言葉ではなく、イエスの心に由来する価値観に基づいた教えを教えてくれるツールは、スポーツ文化に浸透していくことができ、日本で本当に必要とされていると信じています。彼らには以前と違う方法を紹介する必要があるのです。」
現在もウィルと彼のスタッフは、日本のスポーツ界にアクセスできるようにリソースの開発、翻訳、文書化を続けています。彼らは、日本人に馴染みのあるプロ選手やコーチの証しが収録されたベースボールバイブル(スポーツバイブル)を作成し、教会に足を踏み入れることも聖書を手に取ることもない人々に福音を伝えるため用いられています。
その土台作りは広がりつつあり、ウィルはコーチや選手の間に神様がリバイバルの風を吹き込むことを祈っています。
「私たちは、神が力ある方法で動いてくださることを望み、信頼しています」とウィルは語ります。
2019年にはラグビーワールドカップが開催され、2020年には東京で夏季オリンピックが開催されます。これらはスポーツ界の大きなイベントであり、ウィルをはじめとする日本各地のスポーツパートナーは、大きなインパクトを与えるために準備を進めています。日本のスポーツ界に新たな光が差し込んできているのです。
「日本のスポーツミニストリーの起爆剤として、スポーツチャプレンやコーチミニストリーが用いられる、このような大きなスポーツイベントは神様からの贈り物です。」とウィルは語ります。
「神様がこのようなイベントを用い、日本で福音をもたらそうとしていることを本当に信じ、感謝しています。」
(2017年8月23日 FCA IN ACTION
インタビュー記事より)