アスリートなら誰でも知っているこの3つの言葉。Ready, set, go! (よーいどん!)幼い頃に兄弟や友人と競い合った時も、大学でチームメイトと競い合った時も、この言葉がこれから始まるレースの舞台を整えたのです。審判が「用意」と言ったら、心と体を整えて勝負に臨めという合図です。
しかし、イエスとの関係なしには、人生というレースの準備をすることは難しいでしょう。ローマ人への手紙3:9-18で、パウロは、イエスを離れては、私たちは理解力がなく、死をもたらすような言葉の使い方をし、人を傷つけ、平安を知らず、創造主を知らない、と言っています。
神がなぜ私たちを造られたのか知らず、神の目から見た私たちの価値を知らないなら、私たちは心を結果という不安定なものに置き始めます。このことは「失敗すれば自分の価値を失う」とアスリートに重圧を掛け、周囲の声を聞こえなくさせます。また、コーチもアスリートの成功が自分の価値につながるため、競技の成績が悪いと制御不能な反応が出るかもしれません。どのような状況であれ、イエスとの関係がなければ、自分がどうあるべきか、どこへ行くべきか、どう生きるべきかを知ることはできないのです。
エペソ人への手紙2章は、イエスを失った私たちの存在がどのようなものかを説明することから始まりますが、4節では、私たちの物語全体がどのように変化するかが語られています。
イエスのおかげで、私たちは死や失望から解放されました。私たちは神が愛してくださったので、生きており、罪が聖められ、私たちを造られた神とともに歩めるのです!神は私たちに必要なすべてのものを与えてくださいました。そして、勝負に臨めるように心と体を整え、必要なものをすべて与えてくださっているのです。
イエスにおいて、私たちの使命は、キリストとの関係の中で成長しながら、他の人々もキリストとの関係の中で歩むようにと励ますことです。
マタイによる福音書28:19-20
私たちがキリストを信じるとき、聖霊を通して神の力と臨在が私たちの内に生きてきます。聖霊が与えてくださる力と知恵によってのみ、レースを走る準備ができるのです。
エペソ人への手紙3:16-17a
神は、聖書を用いて私たちの目を開き、イエスの方へと導かれます。神はイエスが言われたことをすべて思い起こさせ、人生においてイエスの真理を歩むことができるようにします。
テモテへの第二の手紙3:16-17
私たちには、イエスに向かって走りながら、共に寄り添い、成長することができるチームがあります。彼らは人生にとって神が最善であると信じているので、私たちを導き、励まし、正すことができます。
ヘブル人への手紙10:24-25
成長して見せる準備ができている心を持って生きることは、イエスに信仰を置くことに似ています。失敗を恐れて心が折れることがないので、新しい技術をより速いペースで習得することができます。イエスが人を大切にされたように、あなたもチームメイトを大切にしていきましょう。誘惑の中にいるとき、恐怖に苦しんでいるとき、知恵を必要としているときに、仲間のクリスチャンに電話をするようなものかもしれません。
イエスとイエスが日々与えてくださるものに寄り添えば寄り添うほど、私たちは神が私たちに与えてくださった使命に向かう準備ができるのです。