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あなたは召されている

10月 10, 2022

神は私たちを、神の恵みと真理のメッセージを実践するために召されたのです。

チームに入ったとき、キャプテンに選ばれたとき、節目を迎えたとき、この上ない喜びがあります。私たちは、自分が見られていること、選ばれていることを知り、喜びを感じるでしょう。


私たちは、キリストのようにあらゆる生き方をするよう招かれていますが、私たちが神から親密な関係のために召されていることを理解すると、個人的な喜びが生まれます。神は私たちを、神の王国を地上にもたらすために行っている働きに加わるようにと招いておられます。私たちは神のように愛し、勇気を持って導き、弟子にしてイエスによる救いの偉大な知らせを広めるように召されているのです。


それでは神に召されるとはどういうことでしょうか?神は私たちをどのような世界に導いてくださるのでしょうか?神をより深く知ることに加えて、私たちが神の手となり足となり、神の偉大な愛を語ることができるように、神が私たちの周りにいてほしいと願っておられる特定の場所や人々がいます。神は、私たちがこの世界での自分の役割を深く理解し、自分の賜物と才能をいくつかの具体的な方法で発揮し、神の恵みを示すことを望んでおられています。

テモテへの第二の手紙 1:9)


人々を愛するため

神は私たちに、神の性格と心に沿った多くの戒めを与えましたが、その中で最も重要なのは、「自分のすべてをかけて神を愛せ」ということです。私たちの思考、言葉、行動の中に、神が私たちを愛してくださるように、私たちの周りの人々を愛するという神の御心が表れています。イエスとの継続的な関係から、私たちは、仲良くするのに苦労しているチームメイト、常に質問してくる親、満足することができないコーチなどを、別のレンズを通して見ることができるようになるのです。私たちは、他の人々がキリストにある人生を経験できるように、彼らを励まし、高めていくのです。

ヨハネの第一の手紙 4:7-8)


導くため

誠実さ、謙虚さ、思いやり、そして強さをもって指導する方法を知りたければ、イエスを見ましょう。イエスは模範となって、あらゆる経歴、生活様式、葛藤を抱えた人々を惹きつけました。イエスの優しさは彼らの見方を変え、イエスの真実は彼らに自分の目的を果たす自由を与え、神の変容の恵みを周りの人々に伝えました。導くために、私たちはまずイエスに耳を傾け、そして聞いたことを分かち合います。私たちのチームメイト、家族、クラスメートは皆、イエスを必要としています。私たちのイエスの知識は、混乱した世界を進む彼らにとって、一筋の光となるのです。

詩篇 78:72)


実現するため

イエスは、マタイによる福音書の最後に、世の中に出て行って、出会う人すべてに福音のメッセージを伝えなさいと命じられました。また、分かち合うだけでなく、一緒に御言葉に触れ、イエスに従うとはどういうことかを教えながら時間を過ごすこと、つまり弟子となるようにとも言われました。イエスは、私たちが自分の時間、エネルギー、影響力を他の人々に投資して、彼ら自身の信仰を成長させる者となることを願われています。私たち神の計画を実現するための一部であり、若いチームメイトや新しいコーチを弟子にすることは、世界に神の福音をさらに広めるという影響の掛け算を生み出すのです。

マタイによる福音書 28-18-20)


神の善意は、私たちが神の王国のために愛し、導き、弟子となることを余儀なくさせます。神は私たちの周りに、私たちに託された特定の人々を配置されました。神の招きを受け入れ、すべての人に神の救いをもたらすために、神の呼びかけを受け入れようではありませんか。あなたは召されたのです。さあ、行って、伝えましょう。


質問:神はあなたに、周りの人々に対して神の光となるため、どのように呼びかけておられますか?このことは、あなたにとってどのような意味があるのでしょうか?


チャレンジ: 弟子となることや人格成長について、チームに短い学びをするよう誘ってみましょう。

FCA in Action

14 Jun, 2024
コーチやアスリートは準備に多大な時間とエネルギーを費やします。試合に臨む前、彼らはしばしば 「自分たちの準備はできているだろうか?」と問いかけるでしょう。スポーツや特定のイベントを成功させるために、様々な角度から考察し、準備の段取りを考えます。彼らは身体、感情、人間関係、そして全体的な細部にまで注意を払います。 キリストを信じ、キリストに従っているコーチやアスリートには、さらに大きな目的があります。彼らは多くの時間とエネルギーをスポーツに費やすよりも、信仰において成長することに費やすでしょう。人生のすべての領域で主を第一に求める。頻繁に神の臨在の中に足を踏み入れ、神の声に耳を傾け、他の人々と霊的に関わることによって神の御業に加わるようにとの神の招きを受け入れるのです (1テモテ4:7b-8) 神の召しを受け入れたコーチやアスリートは、まず神の御言葉に触れ、義の訓練に時間を費やし、神の導きと指示を求めます。神について人に話す前に、神が自分の人生につなげてくれた人々について神に祈るのです。そして、神の恵みとあわれみを振り返り、信仰に踏み出す準備ができているかどうかを判断しましょう。 神の御言葉に時間を費やし、トレーニングを重ね、戦略通りに臨む時、彼らは神の愛を完全に受け入れ、それを他の人々と分かち合いたいと熱望しています。 (ローマ15:13)でパウロが語っているように、彼らは聖霊と神の祝福の意識に満たされており、それが周囲の人々に溢れ出ていくのです。 あなたは、神の召しを受けて弟子となる準備ができていますか?神はあなたがそうであると信じておられる。さあ準備を整えて、前進しましょう! あなたの時間と優先順位を評価しましょう。どこに一番時間を費やしていますか? あなたの人生に対する神の目的を果たすために、あなたの人生とスケジュールにどのような調整が必要ですか? あなたの内に溢れるキリストから弟子を作って行く準備はできていますか? 考えてみましょう: ・あなたの時間と優先順位を評価しましょう。どこに一番時間を費やしていますか? ・あなたの人生に対する神の目的を果たすために、あなたの人生とスケジュールにどのような調整が必要ですか? ・あなたの内に溢れるキリストから弟子を作って行く準備はできていますか?
By Japan Staff 02 May, 2024
心や体への燃料補給は重要で、トレーニングの序盤あっても、重要な試合の終盤であっても関係なく、絶え間なく続ける必要のあるサイクルです。クリスチャンにも同じことが言えます。超自然的な喜びと希望をもたらす霊的な燃料の補給が必要なのです。 イエスが天に帰ろうとしていたとき、弟子たちもより一層の成長を必要としていました。彼らはイエスが与えてくださった新しい目的をどのように果たせばいいのかわかりませんでしたが、イエスは帰られる前に、聖霊の助けが近づいていることを約束されたのです(使徒1:8)。 それから2週間も経たないうちに、弟子たちは、五旬節と言うユダヤ教の祭りの間、一つの所に集まり、祈りながら待っていました。使徒2:1-13にあるように、そこで信じられない奇跡が起こります。 外にいた人々は様々な言語を話していましたが、弟子たちが話していることは皆理解できるようになったのです。ペテロはその後、大胆で力強いメッセージを群衆に語りかけ(使徒2:14-41)、弟子たちの人生に働かれる聖霊からいただく新しい力の証となりました。 聖霊が来られた出来事(ペンテコステ)の後、クリスチャンたちは神が彼らの人生に用意された道に備えて、毎日集まり始めます(マタイ28:19-20、使徒1:8)。 弟子たちは神の御言葉を学び、祈りの時を過ごし、共に交わりを持つ中で、初代教会は急速に大きく成長しました。彼らが神を学び体験する中で、他にも驚くべきことが起こります。 スポーツ選手であれば、競技に備えるための練習や戦術が必要です。明確な指示や指導がないと残念な結果につながるでしょう。 聖書はクリスチャンのためにあります。聖書は神の主権を持つ御言葉であり、イエス・キリストの福音を通したすべての真理、あなたが神のために生きるために必要なすべてを含んでいます。 これはパフォーマンスを発揮するために肉体的、精神的な燃料が必要なのと同じように、あなたの人生に与えられた神の目的を歩むために、霊的な燃料が必要なのです。神との一貫したコミュニケーションは、あなたを神に近づけ、心に平安と喜びをもたらします。 毎日あなたの心に燃料を補給する2つの重要な方法があります:神の御言葉を学び、祈りの時間を過ごすことです。パーソナルトレーニングのように、あなたは個人的にハードワークをこなさなければならないが、常に一人で取り組むことを意味してはいません。実際、神はキリストにおける新しい目的のために燃料を補給し続けるもう一つの方法として、あなたにコミュニティを与えてくれたからです。 クリスチャンのコミュニティという霊的燃料は、初代教会が生き残るための鍵でした。彼らはあらゆる方面からの迫害に直面する中で、 イエスの福音を世界に伝えるという目標に向かってチーム組み、励まし 支えあって進んでいったのです。 御言葉 、祈り、 コミュニティ を通して神の喜びと平安を補給すれば、どんな困難が訪れても、知恵と力をもって立ち向かうことができる のです。(エペソ3:19) 転載翻訳: https://fca247.org/refuel-247
24 Feb, 2024
アスリートになってよかったことのひとつは、チームに選ばれ、新しいユニフォームを着られることでしょう。実際にユニフォームを着て試合に出た最初の試合は言うまでもなく、高校でトップチームのユニフォームを初めて着たときの興奮と誇らしさは未だ忘れることはありません。しかし、大学へ進学して新たなユニフォームを受け取ったとたんに、高校時代のユニフォームを着ることはなくなります。高校は過去のもので、大学バスケットボールが私の現在地だからです。 私たちの人生には、過去の体験や名誉にしがみつく時期があるでしょう。私は、パウロがエペソ4章を通して、古いものを脱ぎ捨て、置くように教えていることをとても気に入っています。古いものを取り除き、新しいものに置き換える。イエスの命、死、復活を通して、私たちはイエスのうちに新しいアイデンティティと目的を持ちます。私たちの心も含めて、すべてを新しくされるのです。かつて私たちが誰であったか、何をしていたかは、もはや重要ではありません。重要なのは、神が私たちについて語っておられることであり、神が私たちを選び、愛する者と呼んでおられること。そして聖霊の力によって、私たちの心を新しくされることです。 新ユニフォームを受け取ることは、新たなシーズンがそう遠くないことを意味します。そして新しいシーズンは、私たちのチームが何かを成し遂げるかもしれないという大きな希望と興奮をもたらすでしょう。同様に神と共に歩む新しい生き方を受け取ることは、神が私たちの内に、そして私たちを通して成し遂げてくださることへの、より大きな希望と興奮を私たちにもたらします。神は私たちの思考、言葉、行動を新たにし、私たちの魂と心をリフレッシュしてくださるのです。キリストにあって新しく造られた者となる希望と喜びを受け取りましょう。古いものを捨て去り、神があなたに与えてくださる新しい約束の中に生きるのです。あなたは新しいチーム、神のチームの一員です。そして何より素晴らしいことは、誰が勝利を得るのかを知っていることです。 考えてみましょう: ・最も誇りに感じたユニフォームを覚えていますか?なぜそう思ったのですか? ・あなたの人生において、心、思考、身体、霊が新しくされるために祈りたいことはありますか? ・イエスが十字架の犠牲となって、あなたを新しくしてくださったことを感謝しましょう。
17 Jan, 2024
何年も前から、活発なピンクのウサギが登場するコマーシャルがあります。彼はエナジャイザー・バニーとして知られ、エナジャイザーという会社の電池を宣伝しています。そのスローガンは、電池はウサギのようにどんどん動き続け、長持ちするパワーを示すというものです。このコマーシャルは、これまでに無かった素晴らしいマーケティング戦略でしょう。 私たちは、休憩や リセットのために立ち止ま らず 、ひたすら前進し続けるなら、燃え尽きるか、少なくとも生産性と集中力が著しく低下するに 性質が あ ります 。しかし、コーチング、競技、ある いは神のために働くという、最も崇高な大義や情熱の名の下に、私たちは自分自身に対してエナジャイザー・バニーの様に動き続けていませんか?私たちは皆、それぞれのチームを準備するためにたゆまぬ努力を続けるコーチ や、いつもジムにいるアスリート、そして 生活のために働き続ける社会人 。 私たちは そのうちの一人 かもし れ ません。 聖書に登場する二人の姉妹は、毎日毎日がむしゃらに働くことがどのようなことなのか、そしてリセットボタンを押すことがどのようなことなのかを私たちに教えてくれています。マルタは、奮闘と奉仕に全力を注いてでいました。それは彼女の愛の言葉と言ってもいいでしょう。問題は、彼女が主であり救い主と共に過ごすこと以外に目が向いていたことです。ルカによる福音書を読むと、マルタは姉妹であるマリアが手伝ってくれないことに苛立ったことがわかります。一方、マリアは、リセットボタンを押すとはどういうことかを示す生きた模範です。マリアは、マルタと共に手伝うこともあったでしょう。しかし、イエスが現れたとき、マリアは立ち止まってイエスの前に座り、イエスを礼拝し、慕い求め、イエスに耳を傾けることにしたのです。マルタがイエスに不満を漏らし、マリアに助けを求めたとき、イエスはマリアがその瞬間、イエスと共にいることを正しく決断したことを思い出させました。大事なのは、時には一歩下がってゆっくりし、神の臨在にとどまり、神が私たちの優先順位を変え、リセットしてくださるようにすることなのです。 私たちは一日24時間、週7日、時速100マイルで走ることはできません。ただ主の御前に座っていることに大きな知恵があることを、マリアから学 びましょう。 考えてみましょう: 1. 休みなく仕事に打ち込み疲れ果てると、あなたはどの様になりますか? 2. あなたが神との歩みを楽しむためにペースを落とすと、あなたはどの様になりますか? 3. 主と共に過ごすことで、どのような恩恵を受けましたか?
By Japan Staff 08 Jan, 2024
毎日をどの様に過ごしていますか?
By Dan Britton 08 Dec, 2023
あなたの人生に最も影響を与えた人々について考えてみましょう。彼らは自分の成功だけに焦点を当てた人でしたか?それとも無私無欲で他人に仕えた人でしたか?注目を集めることなく自身を惜しみなく提供する人は、最も大きな影響を残すことがよくあります。 クレイグは私の人生におけるそうした人物の一人でした。彼は私の高校の青少年グループボランティアで、決して表立って発言したり、グループをリードすることはありませんでしたが、舞台裏で私や多くの人を支えてくれた人でした。彼は私の家に現れトレーニングを手伝い、一緒に走りに行き、一緒に祈ってくれました。彼は私を愛し、気遣い、仕えてくれました。そして、自分の利益のために行っているところを誰も目撃しない歩みは私の人生に大きな影響を与えました。 今日、人々は注目を浴びて認められるよう努めています。しかし、無私の奉仕の力を覚えておくことが重要です。他人に仕えることは弱さの表れではありません。他人を優先することを選択すると、私たちは充実感の泉に満たされます。真の素晴らしさは、自分の賜物や才能をどのように使って周囲の人々の生活を祝福するかにあられます。イエスは無私無欲の究極の模範を示しました。イエスは弟子たちの足を洗い、病人を癒し、人々のために命を捧げました。 あなたは、犠牲的かつ謙虚な方法で他の人に仕える意欲がありますか?不平不満はありませんか?賞賛、感謝、励ましがなくても平気ですか?ただ仕える喜びを味わいたいという純粋な願望はありますか?仕えることに夢中ですか?周りで傷ついている人々に仕える情熱はありますか?奉仕における究極の目的はキリストの栄光を讃えることであることをご存知ですか? リック・ウォーレン牧師は、「世界は権力、所有物、名声、地位の観点から素晴らしさを定義します。ですから『自分第一』の精神を持つ利己的な文化においては、奉仕者のように振る舞うことは決して注目されるものではありません。しかし、私たちは他者に仕えることで神に仕えるのです。」と語った。私たちは「自分第一」の考え方に苦しんでいます。私たちは、特にスポーツの世界に関しては、自分の才能や業績のせいで他人よりも優れているという嘘を信じてしまいます。 人に仕えるときは、意図的、積極的であり、親密さが必要です。奉仕に対する私たちの情熱は心から出たものでなければなりません。サミュエル・チャドウィックは、「霊に満たされた魂は神のために燃えています。彼らは輝く愛で愛します。彼らは燃え上がる信仰で仕えます。彼らは献身的に仕えます。彼らは燃えるような激しさで罪を憎みます。彼らは喜びます。喜びが放射され、愛は神の火の中で完成されるのです。」 私は、FCA の価値観の 1 つが誠実さ、チームワーク、卓越性と並んで奉仕であることが大好きです。基本的な価値観は、競争の場の内外を問わず、あらゆる関係において実践される必要があります。私たちFCAは単なるスポーツミニストリーではなく、仕えていく働きとして知られることを望んでいます。スポーツには、イエスの手足となる意欲のあるコーチや選手が切実に必要とされています。私たちの願いは、スタッフやボランティアが毎日起きて、「主よ、今日は誰に仕えればよいでしょうか?」とただ祈ることです。このたった一つの祈りがスポーツの世界を変えるかもしれません。コーチ、アスリート、スタッフ、サポーター、ボランティア、保護者の方々が無私無欲かつ犠牲的に奉仕する姿を見るのが待ちきれません。 イエスは考えられないことを行いました。リーダーシップを「仕えること」と再定義したのです。ヨハネによる福音書13 章で、イエスは私たちに明確な例を示し、私たちも同じようにすべきだと言いました。それが「奉仕に関する 10 の理不尽な掟」をまとめた理由です。これらは私がキリストのように仕えるのを助けてくれました。私たちの生きる世界では、仕えるのではなく導くように、ひざまずくのではなく立ち上がるように、タオルではなくマイクを掴むようにと理不尽ながら教えられています。しかし、神は私たちに心を尽くして仕えることによって、思いもよらないことや理不尽なことをあえてするよう呼びかけておられるのです。 1. 奉仕は義務ではなく愛です。奉仕は、作られた努力ではなく、自然にあふれ出るものであるべきです。奉仕は、単調な仕事ではなく、願望から生まれます。 2. 奉仕とはプロジェクトではなく、関係性です。あなたは何かを達成すること、または誰かを祝福することのどちらに重点を置いていますか? 3. 奉仕するのは自分のためではなく、他人のためです。自制は奉仕の核心です。自分のことばかり考えている状態で人に仕えられないのです。 4. 奉仕には犠牲が伴い、片手間でやるものではありません。犠牲は常に重要な要素です。 5. 奉仕する私たちは所有者ではなく世話役です。奉仕のやり方をコントロールしていませんか?奉仕による祝福は私たちではなく神が所有しているのです。 6. 奉仕は認知度を高めるものではありません。仕えるときは謙虚さが大事です。認知を求めるものではないのです。 7. 奉仕は手ではなく心で行うものです。奉仕は内部の働きです。批判的で不安な心のままで仕えることはできません。 8. 奉仕は人ではなく神に関するものです。私たちには神の心が必要です。神を利用するのではなく、神の目的のために神に用いられてください。 9. 奉仕は義務ではなく機会です。喜びは奉仕の副産物です。それは簡単ではなく、難しいことでしょう。 10. 奉仕するという選択肢はありません。イエスは私たちに例を示しました。私たちは奉仕しなければなりません。 私たちは奉仕を徹底的に取り組む必要があります。もし私たちがこの10の掟を実行し、家族、チームメイト、仲間、コミュニティのために情熱を注いだらどうなるでしょうか?その革命は私たちから始めるべきではないでしょうか?覚えておいてください。イエスは世を導くためではなく、世に仕えるために来たのであり、私たちから始まるのです。 父よ、私は毎日「自分第一」の精神と戦っています。あなたの前で私の自己中心さを告白します。私は奉仕することに夢中になる人でありたいと思っています。あなたの掟に従い、仕える者になりたいです。自分の必要よりも他人の必要を優先することに喜びと充実感を見出せるように教えてください。イエスの御名によってお祈りします。アーメン。 翻訳元:https://www.fca.org/fca-in-action/blog-detail/2023/11/30/the-10-irrational-laws-of-serving 
09 Nov, 2023
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09 Oct, 2023
スタメンに入れない、トップチームに選ばれない時に感じる気持ち。膝に強い痛みを感じた時の違和感。大事な試合の日にテストが重なり行けないことがわかった時、私たちの心は大きく沈み込み落胆します。 失望は私たちの心に深く切り込み、夢は一瞬にして崩れ去り、現実は今までと違った世界に見えていきます。 先が見えない様な時、私たちはどうすれば良いでしょうか? 気分が晴れず、満たされない希望や届かない夢で心が重くなる時、神様はあなたのすぐそばにおられることを知っていて欲しいです。 逆説的な考え方ですが、人生における傷は私たちのために働き、神様はすべてのことを益のために用いられ、その中には怪我や、拒絶さえも含まれます。神様は私たちが結果を出すこと以上に、私たちの心がどの様に成長していくかに関心があり、もし私たちが自分の中にある傷ついた所に神様が入ることを許し、その所を通して神様が何を囁いておられるかに耳を傾けるなら、成長がもたらされるのです。 大きな成長。永続的な成長。研ぎ澄まされた成長。神様は私たちの失望を、目的と命を与えるすべての善き実を人生に実らせていく道を作るために用いられるのです。神様の願いは、私たちが他の人々のために、そして私たち自身の神との関係のために実を結ぶことです。ヨハネによる福音書15章では、イエスはぶどうの木と枝、庭師と実、留まりと関係を描かれています。(ヨハネによる福音書15:8)イエスとの継続的で個人的な関係が私たちの人生に霊的な実を結ぶように、勇気を与えて忍耐を生み、私たちの人格を成長させていきます。 結局のところ、神様は試練に対する勇気により、前方に目を向けるために必要な希望を与えてくださるのです。そして、その過程で、私たちのうちに良い実を結ばせてくださいます。 私たちの失望は、勇気により私たちを実らせることにつながるのです: 新たな実 神様のご性質は良い状況であろうと悪い状況であろうと表れ、御子イエスの姿に似た者へと変えられ、洗練された信仰の構築を私たちの上になされます。良いことも、悪いことも、その中間も、私たちの成長には何一つ無駄なものはなく、試練を経なければ決して経験できなかったような方法で、神のご性質をより多く経験することができるのです。(ヤコブ1:2-3) 良い実 このような神 のご 性質 を経験して 成長すれば、あなたにとって有益なだけでなく、他人を助けることもできる でしょう 。あなたの周りで、耳を傾けてくれる人、賢明な言葉をかけてくれる人、イエスを指し示す心を必要としている人は いませんか ?神 様 が私たちの人生に御霊の実を結ばせてくださる なら 、他の人々に も実らさずに はいられないのです。 (コロサイ1:10) ずっと続く実 この実は即効性のあるものだけではありません。継続して生み出すことができ、周囲の人々に長期的な影響を与えます。私たちの最終的なゴールはキリストに似た者であり、私たちを安定させ、神様の御言葉に深く植え付け、永続する知恵、恵み、平安を生み出す着実な一貫性であるのです。(詩篇1:3) 神 様 は私たちが近づき、神の愛にとどまることを望んでおられ ます 。 試練の中にあっても 私たちが神様の 下に とどまるなら、与え ようとされる神様の 実を 受け取れるでしょう 。辛いこと かもしれませんが 、 試練 は私たちの霊的成長に一役買っている のです 。失意を通して神 様 を深く見ることができ、神 様 は私たちを強めてくださるので、他の人々が自分自身の苦難に直面したときに、私たちが慰めの源となります 。痛みは私たちをイエスへと導きます。イエスは私たちの幸福のためにもっと大きな計画を持っておられ、それはイエスの栄光と私たちの益のために、より大きな力へと発展させることができるのです。 人々、スポーツ、状況が私たちを失望させるかもしれませんが、イエスは決して失望させることはないのです。 さらに成長するために: (ヨハネ3:30) 質問: 試練にどう対処しますか?試練があなたの人格を形成する助けとなることを知っているあなたは、試練にどのように向き合えますか? チャレンジ:試練の中で神様が助けてくださるという聖書の一節を、困難に直面している人と分かち合いましょう。 
11 Jul, 2023
私たちは、自分の中にある未開発の潜在能力についてよく耳にするでしょう。潜在能力を解放できたら、最高の人生を送ることができる。そこに達成しようと懸命に努力し、本やインターネット、SNS、動画に答えを求めて多くの時間を費やします。 私たちは究極の目的と可能性に到達したいと思っていますが、スポーツにアイデンティティを見出すなら、私たちは満たされることなく、常に尽きることのない結果を追い求めていくことになるでしょう。残念ながら、そこに平安はなく、神と共により大きな可能性に目を向ける必要があるのです。 未開拓の可能性 もしかしたら、あなたはトップチームに挑戦して2軍チームになったかもしれません。あるいは、スピードや筋力、成績を向上させるのに苦労しているかもしれません。全力を尽くしても、決して十分とは思えないかもしれません。 選手であれば、練習や試合中に、自分にはもっと可能性があると感じるのは自然なことです。そして、期待に応えられていないと感じると、プレッシャーがかかり始めるでしょう。 期待というのは、コーチや両親、チームやサポーターから来ることもあれば、自分自身から来ることもあります。 世の中の潜在能力に対する考え方は、あなたにはもっと大きな栄光(勝利)が待っている、もっと大きな(プロ契約や大金を掴む)可能性を秘めているという意味があるでしょう。それは自己実現のためであり、この世の成功であり、自分に利益をもたらすために生きるためとも言えます。 ですから目標を達成できないなら失敗と感じるかもしれません。しかし、神の視点は違います。あなたの人生には、スポーツにアイデンティティを見出すよりも素晴らしい世界が待っているのです。 自分自身だけでできること以上に、自分の潜在能力を発揮することはあります。人生には大舞台での成功を追求すること以外にも、さまざまな価値があります。実際に、あなたの潜在能力は単にスポーツの結果だけで測られるべきではありません。それは、神があなたがどのような存在であるかで測られるべきです。 神があなたの中に見ておられる可能性、神がイエスを通して私たちに与えてくださった可能性について、神は何を語っておられるのでしょうか。 世間は、神が見るのとは違った見方で可能性を見ています。神は御子イエスのレンズを通して私たちの可能性を見ておられます。イエスは私たちに新しい生き方を与え、私たちがはまり込んでしまった影のある場所を照らすために戦ってくださったのです。 ヨハネによる福音書8:12 真の光 ヨハネによる福音書には、イエスの働きの始まりが描かれています。彼の従兄弟であり情熱的な説教者バプテスマのヨハネは、イエスの到来を人々に備える活動しました。ヨハネは大きな働きをし、人々も彼を偉大な存在と考えましたが、ヨハネ自身はさらに偉大な方が来ることを知っていました。 ヨハネはイエスの到来について説教する中で、多くの宗教的指導者たちはこの存在を気にしていました。彼らは、成果を重視するシステムの下で快適に生活していたからです。もし仕事がうまくいけば、あなたはよい人だとされました。しかし、イエスにはより良い道がありました。彼の道とは、暗い世界に光をもたらすことです。 ヨハネによる福音書1:9-10 その中に問題があります。「世界は彼を認識しなかった」ということです。同様に、私たちも自分の真の潜在能力の源がイエスであることに気付かないために、自分の全ての可能性に到達することができません。 スポーツには勝つこと以上のものがあります。結果重視に陥るのは簡単な罠ですが、キリストを通じて自分の真の潜在能力を認識し始めると、人生が変わります。バプテスマのヨハネは、神の子羊の到来を告げる先駆者として道を切り開いた時に、自分の役割とイエスの役割を認識しました。 ヨハネによる福音書3:30 イエスにある「より大きな可能性 」に目を向けましょう: 大いなる道 :あなたの可能性を最大限に引き出す、より良い方法があります。それはあなたを神へ到達させる唯一の道です。ヨハネによる福音書14:6 偉大な真理 : 単 に 大 きな 真実で はありません 。真理 です 。イエスの真理を受け入れるとき、あなたはプレッシャーからの解放を経験し、神があなたに与えた賜物の背後にある目的を見出すことができる 様になります。ヨハネによる福音書8:32 豊かな命 : これはイエスとの関係を通してイエスがあなたに与えてくださるものです。イエスに焦点を当てた人生を通して、より多くの喜び、平安、そして目的がもたらされるのです。 ヨハネによる福音書10:10 覚えましょう: あなたの人生には、スポーツにアイデンティティを見出すよりも大きな可能性があります。 バプテスマのヨハネは、イエスにあってより大きな可能性を生きることの意味を理解していました。何をするかではなく、あなた自身です。何が心配ですか?キリストにあって、あなたはすでに選ばれています。チームメイトに良い印象を与えようとすることにとらわれていませんか?イエスはあなたに才能を与えてくださったお方であり、あなたを通して導いてくださろうとしています。自分を満たすためではなく、代わりにチームメイトに奉仕することを求めましょう!
12 Jun, 2023
陸上部に入部したとき、私のアイデンティティはスポーツにありました。自分の価値や値打ちは、自分の成績がそのまま反映されるものと考えていました。もし、私が良い成績を収め、スタッツが上がれば、私の価値観や価値観もそうなりました。逆に、成績が悪かったり、調子が悪かったりすると、自分の気持ちもその成績に連動してしまいます。スポーツは私のアイデンティティだったのです。しかし、コーチの影響によって、主は私の人生を掴み、私のアイデンティティがどこにあるのかを明らかにされました。 あなたのアイデンティティは、あなたが何をしたかによって決まるのではなく、イエスが私たちのために何をしてくださったかによって決まります!私たちの価値はイエスの罪のない人生、十字架上の贖罪の死、そして復活に由来しており、イエスの完全な愛と究極の犠牲は、本質的な価値を提供します。私たちが恵みの贈り物を受け取るとき、私たちの人生は変わることができます。私たちのアイデンティティは、イエスがなさったことの中にあり、誰に従うかの中に見出されるのです。 ヨハネによる福音書15章の中で、イエスは弟子たちに、ご自分のうちに留まるようにと呼びかけています。悲嘆にくれる困難の最中から、信じられないような山頂の瞬間まで、あらゆる状況において主のうちにとどまりなさいという、主からの驚くべき招きです。この自由は、世の中の承認を求める鎖からの解放であり、人生のすべての領域で主をたたえることに専念する人生を送る力を与えてくれています。使徒パウロは、ガラテヤ人への手紙2章20節で、ガラテヤの教会にこの真理を思い起こさせています。 競技者として、私たちは福音の真理が私たちのアイデンティティを変えることを受け入れなければなりません。私たちのアイデンティティをキリストのみに置き、その自由がパフォーマンスのプレッシャーから解放してくれるようにしましょう。自分の名前のためではなく、イエスの名前のために、より高いパフォーマンスを発揮できるように努力しましょう。 考えてみよう: 1. キリストにある自分のアイデンティティを日々思い出すにはどうしたらいいでしょうか? 2. キリストにあるアイデンティティをチームに反映させる方法は何ですか? 
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