チームに入ったとき、キャプテンに選ばれたとき、節目を迎えたとき、この上ない喜びがあります。私たちは、自分が見られていること、選ばれていることを知り、喜びを感じるでしょう。
私たちは、キリストのようにあらゆる生き方をするよう招かれていますが、私たちが神から親密な関係のために召されていることを理解すると、個人的な喜びが生まれます。神は私たちを、神の王国を地上にもたらすために行っている働きに加わるようにと招いておられます。私たちは神のように愛し、勇気を持って導き、弟子にしてイエスによる救いの偉大な知らせを広めるように召されているのです。
それでは神に召されるとはどういうことでしょうか?神は私たちをどのような世界に導いてくださるのでしょうか?神をより深く知ることに加えて、私たちが神の手となり足となり、神の偉大な愛を語ることができるように、神が私たちの周りにいてほしいと願っておられる特定の場所や人々がいます。神は、私たちがこの世界での自分の役割を深く理解し、自分の賜物と才能をいくつかの具体的な方法で発揮し、神の恵みを示すことを望んでおられています。
(テモテへの第二の手紙 1:9)
神は私たちに、神の性格と心に沿った多くの戒めを与えましたが、その中で最も重要なのは、「自分のすべてをかけて神を愛せ」ということです。私たちの思考、言葉、行動の中に、神が私たちを愛してくださるように、私たちの周りの人々を愛するという神の御心が表れています。イエスとの継続的な関係から、私たちは、仲良くするのに苦労しているチームメイト、常に質問してくる親、満足することができないコーチなどを、別のレンズを通して見ることができるようになるのです。私たちは、他の人々がキリストにある人生を経験できるように、彼らを励まし、高めていくのです。
(ヨハネの第一の手紙 4:7-8)
誠実さ、謙虚さ、思いやり、そして強さをもって指導する方法を知りたければ、イエスを見ましょう。イエスは模範となって、あらゆる経歴、生活様式、葛藤を抱えた人々を惹きつけました。イエスの優しさは彼らの見方を変え、イエスの真実は彼らに自分の目的を果たす自由を与え、神の変容の恵みを周りの人々に伝えました。導くために、私たちはまずイエスに耳を傾け、そして聞いたことを分かち合います。私たちのチームメイト、家族、クラスメートは皆、イエスを必要としています。私たちのイエスの知識は、混乱した世界を進む彼らにとって、一筋の光となるのです。
(詩篇 78:72)
イエスは、マタイによる福音書の最後に、世の中に出て行って、出会う人すべてに福音のメッセージを伝えなさいと命じられました。また、分かち合うだけでなく、一緒に御言葉に触れ、イエスに従うとはどういうことかを教えながら時間を過ごすこと、つまり弟子となるようにとも言われました。イエスは、私たちが自分の時間、エネルギー、影響力を他の人々に投資して、彼ら自身の信仰を成長させる者となることを願われています。私たち神の計画を実現するための一部であり、若いチームメイトや新しいコーチを弟子にすることは、世界に神の福音をさらに広めるという影響の掛け算を生み出すのです。
(マタイによる福音書 28-18-20)
神の善意は、私たちが神の王国のために愛し、導き、弟子となることを余儀なくさせます。神は私たちの周りに、私たちに託された特定の人々を配置されました。神の招きを受け入れ、すべての人に神の救いをもたらすために、神の呼びかけを受け入れようではありませんか。あなたは召されたのです。さあ、行って、伝えましょう。
質問:神はあなたに、周りの人々に対して神の光となるため、どのように呼びかけておられますか?このことは、あなたにとってどのような意味があるのでしょうか?
チャレンジ: 弟子となることや人格成長について、チームに短い学びをするよう誘ってみましょう。