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「世界のクリスチャンアスリートやスポーツミッショナリーたちと、ネットワークできるので、励まされます。」

岡本 依子
2002年シドニー五輪テコンドー女子67kg銅メダリスト

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「FCAのメンバーで集まり、共に祈り、共に学び、共に励まし合う中で、神様の恵みに浸り、信仰が回復される経験をしてきています。私の人生はスポーツと共に歩んできており、スポーツ分野に集うクリスチャン同士で励まし合うことのできることは私にとって恵みです 。」

平瀬戸 龍二
トップアスリート支援スタッフ

FCA in Action


2024年11月9日
あなたの周りには、あなたを励まし、イエスの近くにいさせてくれる人たちがいます。 ターニャ・ハンセン(FCAミネソタ事務アシスタント) 競泳選手として、私はずっとこのスポーツを「一人で戦うもの」として捉えていました。というのも、大半の時間は頭を水中に沈め、世の中の音はすべて水面の上にあるように感じられたからです。しかし、平泳ぎで私を元気づけてくれるものは、泳いでいるときに聞こえてくるチームメイトの声援でした。耳が水面に出るたびに、観客の音に混じって彼らの声が届き、励まされました。 彼らが応援してくれると、私のタイムは格段に良くなったことに驚きはありません。応援はレースを楽しいものにし、私自身も成長させてくれるのです。 独立心や自己完結が称賛されがちな世の中では、私たちが本来一人で生きるようには造られていないことを忘れがちです。1テサロニケ5章でパウロが教えているのは、主や互いを頼りにすることで得られる驚くべき強さと自由です。社会の圧力とは逆に、すべての重荷を自分一人で背負う必要はありません。私たちは、共同体のため、責任のため、互いに助け合うために造られたのです。(1テサ5:11) この聖句には励ましの本質が凝縮されていますが、この励ましの意味をより深く掘り下げることが不可欠です。それは単に励まし合うということにとどまりません。私たちの救いと永遠の命の希望という深い真理に沿った生き方をするよう、互いに鼓舞し合うことなのです。 テサロニケ人への手紙を書いたパウロは、励ましの力をよく知っていました。この箇所で彼は信徒たちに、自らも励ます人になるように勧めています。パウロは、私たちが互いに励まし合い、高め合うことができるのは、私たちの救いの真理と、その救いがもたらす変容の効果に由来することを強調しています。私たちはただ孤立して救われたのではなく、同胞である信者たちが輝かしい変容を経験し、勝利に満ちた未来を受け入れるのを助けるように召されているのです。 パウロの励ましの模範は、その前の箇所(1テサ5:4-10)にあります。パウロはテサロニケの信徒たちに、イエスへの信仰によって光の子どもであることを思い出させています。これは、イエス・キリストを通して神から与えられた信仰と愛と救いの武具を用心深く活用することを意味しています。 光の子ども パウロはキリストにある私たちのアイデンティティを認識することの重要性を強調しています。クリスチャンは光の子どもであり、贖われたことを自覚し、神の真理と恵みを伝える者として生きるように召されています。 信仰、愛、救いの武具 パウロは、信仰、愛、救いの武具を身につけるようクリスチャンに勧めています。これらの霊的な武具が身を守り、力を与えてくれるので、私たちは人生の試練をたくましく乗り越えることができ、同じように仲間の信者を励ますことができるのです。 コミュニティの役割 パウロのメッセージは明確です。この旅路で私たちは一人ではありません。互いに励まし合い、責任を持つために互いを必要としています。鉄が鉄を研ぐように、私たちは互いに成長し、成熟し、信仰に堅く立つことができるのです。 パウロの例を見ると、励ましは「光の子ども」としてのアイデンティティを理解し、神の武具を身に付けることから生まれることがわかります(エペソ6:10-18参照)。コミュニティと相互支援を通して、私たちは互いに励まし合い、高めあうという召しを果たすことができ、人生の輝かしい変革を成し遂げ、勝利の未来へと向かうのです。 私たちは励ましの力を受け入れ、人生を一人で歩む必要はないこと、キリストと信徒の共同体の支えにおいて真の強さがあることを認識しましょう。彼らは人生をより楽しくし、私たちをより良くしてくれるのです。 実践のすすめ ローマ15:13; エペソ3:19 質問: あなたのコミュニティにはどのような人たちがいますか?彼らはどのようにあなたの信仰を成長させてくれますか? チャレンジ: もしまだ周りにそのような人たちがいなければ、神がふさわしい人を連れて来てくださるよう祈りましょう。そして、定期的に集まれるように計画を立てましょう。私たちは共にいるほうが良いのです。 行動への招き: アスリートとして、私たちは一度にたくさんのことに対処します。練習、学業、人間関係、先発出場へのプレッシャー......。適切なバランスとリズムをもたらす方法を見つけましょう。 記事:ターニャ・ハンセン(FCAミネソタ事務アシスタント) https://www.fca.org/fca-in-action/2024/09/03/you-don't-have-to-do-it-alone 翻訳:FCAジャパン 
2024年10月16日
寄稿:ブレーデン・ベック (翻訳:FCAジャパン) Ready: ヨハネ 8:32 Set: 眩いばかりの照明。大観衆の歓声。最高の舞台に立つ競技のスリル。選手なら誰もが描く夢の状況でしょう。 しかし、もしあなたがプレッシャーに耐えられないとしたら、その様な状況を望まないかもしれません。 確かに、大舞台で最高のパフォーマンスを発揮できるほど気持ちの良いことはありませんが、試合以外の時間はどうでしょうか?練習、家、学校での時間、友達との時間など、それらすべての場面でプレッシャーを感じているとしたら、私たちはよくない方向へ歩んでしまい、いつかくじけてしまうでしょう。それは時間の問題です。 イエスはスマートフォンを持ったこともなければ、プロスポーツの大会に出たこともありませんが、確実にプレッシャーに直面していました。そして、そのプレッシャーを乗り越えて歩む方法を私たちに示して下さいました。日々のプレッシャーを理解し、対処するためには、真理である神の言葉に立ち返る必要があります。そこで、イエスがどのように生きたかを知り、私たちもそれに従って生きることができるのです。 静まる時を見つける 日常の騒音から離れる時間を見つけましょう。イエスもそうしていました。(ルカ5:16) 静かな時間を見つけることは、あなたにとってどのような意味を持っていますか?もしかしたら、朝に15分早く起きて聖書を読み、祈り、自分だけの時間を持つことかもしれません。または、練習後に少し遅くまで残ってフィールドに座り、考えを整理することかもしれません。一歩引いて心を静めるシンプルな行為が、神が私たちの人生に語りかけるための余白を作り出すのです。 「スマートフォンを置きましょう。ヘッドフォンを外しましょう。一式を脇に置き、ただ騒音やプレッシャーから離れて過ごしましょう。」 --ブレーデン・ベック これであなたの問題がすべて解決するわけではありませんが、戻ってきた時、問題にどう対処するかの視点が変わるかもしれません。 Talk with God 神と話す 私たちは普段、ゲームやスマートフォン、エンターテインメントで隙間を埋めがちです。代わりにその退屈を神との対話で満たしたらどうでしょうか?神は実在する関係深い存在であり、私たちが真の交わりを体験できるように、御子を十字架で死なせ、復活させました。神はあなたの人生の出来事や直面しているプレッシャーを深く気にかけており、そのすべてに関わりたいと願っています。 人に頼る 一人で過ごす時間ばかりではいけません。あなたもイエスを追い求める人たちと時間を過ごす必要があります。静かな時間は重要で、先に述べたように、イエスも群衆から離れて神と共に過ごすことがよくありました。しかし、彼はまた、愛する仲間たちと共に食事をしたり、旅をしたり、他者に仕えたり、日常生活を共にしたりと、多くの時間を過ごしました。 クリスチャンとして、私たちは愛に満ちたコミュニティを持つ必要があります。もし、あなたのチームメイトがお互いを見下すのではなく、励まし合っていたら、あなたの人生はどれほど違ったものになるでしょうか?イエスを追い求める仲間たちに囲まれてください。そうすれば、この世のプレッシャーが迫ってくるときも、しっかりと立つことができます。 Go: -今、最もあなたの気を散らしているものは何ですか?その気を散らすものをイエスに置き換えるために何ができるでしょうか? ‐日々、主の前で静まる時間をどうやって見つけることができますか? ‐もし、つながりを持つ仲間がいないなら、彼らを見つけるために一歩踏み出しましょう。地元の教会に電話をして、小グループについて尋ねたり、FCAのハドルがあるか確認してみましょう。 読んでみよう:ヨハネ6:15、13:1, 17:23 お祈り: 「父よ、この世には多くの気を散らすものがあり、私をあなたから引き離そうとします。イエスが十字架で私のためにしてくださった真理に立つことができるように助けてください。そして、それが私をあなたに近づける動機となるようにしてください。あなたと話すことの意味を学び、共に歩む仲間を見つける助けを与えてください。イエスの御名によって、アーメン。」
2024年9月10日
シーズンは長く、私たちの体や心は疲弊していきます。  やがて私たちはトレーニングの中だるみ、乗り越えることのできない停滞期にぶつかることもあるでしょう。またシーズン途中で連日の試合で疲弊してしまうこともあります。これらの課題はよく直面するものです。 それらに加えて、家庭生活、宿題、周囲の期待などが同時に押し寄せてきます。あまりの多さに、毛布の下に潜り込み、ベッドから出たくないこともあるでしょう。 私たちには補給が必要です。私たちを癒す本当の補給を必要としているのです。 これは動画や映画を見続けるような即効性のあるものではなく、もっと深く、持続性のあるものです。イエス・キリストの深く癒される水で、ゆっくりと疲れた魂を補給することを切実に必要としているのです。 イエスはそのことを知っておられます。今もそうであるように、イエスは初めからそれを知っておられます。イエスは、私たちが止まることなく流れ続ける生ける水を飲むことができるよう、私たちに豊かな恵みを与えてくださるのです。 ヨハネによる福音書 7:38-38 この物語で、イエスはユダヤ人の祭りの最中に到着しましたが、そこは群衆が最高潮に膨れ上がり、人々は荒野での神の糧を思い起こし、約束の救い主の到来を待ち望むためにエルサレムに詰めかけていました。イエスは神殿で教え始め、パリサイ人や宗教指導者たちと交わります。イエスの話を聞こうと、多くの人々が集まり、熱気に包まれていた。イエスは見回して、人々が巡礼の旅で疲れ、律法の下で労苦しどれほど疲れているかを見ました。イエスは、人々が何を必要としているかを知っておられたのです。そして、それを熱心に、すぐさま彼らに提供されました。イエスは、生ける水の流れという比喩を通して、御自身をささげられたのです。
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